分かっているけど割り切れない
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映画「渇水」(主演 生田斗真)
古くはローマ水道がそうであったように、水道は人間が健康で文化的な生活を営むうえで最もベーシックなインフラ・ストラクチャーである。もとより水のないところには、どんな生き物も生存できない。
ましてや万物の霊長たる人間は、水なら何でも良いわけじゃない。衛生的な水が安定的かつ恒久的に確保される必要がある。一方で、大量の水は洪水等の災害にもなりうるから、適度な距離を保って接する必要がある。
太古の昔から人間は水を安全に確保できる場所に住み着いた。川に程近く、そのくせ水害の危険が少ない小高い丘陵地に埋蔵文化財が多く出土されるのはそのためだ。
時代は下って人口が増えると、衛生的・安定的・恒久的というニーズをより広域に満たす必要が出てくる。そこで、水道というインフラが整備されるようになったのだと理解している。
インフラ・ストラクチャーというのは「下部構造」を意味するラテン語が元だそうだが、転じて「社会を下から支える基盤施設」ということのはずだ。にもかかわらず、他の多くのインフラと違って、水道水は只ではない。道路や公園は只で使えるのに、より人間の生存に根源的なインフラである水道は只でないのだ。
もちろん、只にできない相応の理由があることはわかっている。初期投資や運営経費には莫大なおカネがかかっている。また只になれば、この映画のような渇水期においても、野放図に使う不届き者も出てくるに違いない。
だが、人間一人ひとりが健康で文化的に生きていくのに必要最小限までの量なら、税や社会保障で賄ったって良いではないか。水道というベーシックなインフラだからこそ、社会全体で支えるべきではないのか──この映画の幼い姉妹を見ていて、そう思った。
だが、主人公・岩切が言ったように、
「水道が只になったところで、じゃあ電気代やガス代はどうする?」
ということに直ぐになるのだ。つまり、問題の本質はそこではないのである。
もちろん、それも分かっている。分かっているが、どこかで割り切れない自分がいる。岩切はそれを爆発させたに過ぎない。あんなことをしたって、この姉妹を救うことはできないのに……。それだって彼は分かっている。
画像引用元 Yahoo!ニュース