チェイス、お前も苦しかったんだね
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小説「ザリガニの鳴くところ」(ディーリア・オーエンズ)
先に映画を観て分からないところがあったので、その確認のためにこの原作小説を読んだ。ストーリーや人物設定等は映画も小説も大きく変わらない。
米東海岸の湿地のほとりで生まれた少女カイア。彼女は父親のDVで一家離散の憂き目にあい、孤児となる。その後も学校にも通わず、周りから「湿地の娘」と蔑まれながら自活生活を続ける中で、湿地に生息する動植物の知見を深める。
幼馴染のテイトに薦められて、その知見を書籍にしたところ賞を受けるほどの好評を得るが、その受賞レセプションの夜に地元のプレイボーイ、チェイスが殺され、以前深い関係にあった彼女はその嫌疑で逮捕され、法廷に立たされる──といった物語である。それが、現在と過去を行きつ戻りつしながら進むといった趣向だ。
しかし、私が映画でよく分からなかったシーン──法廷でカイアが妊娠を示唆するように下腹を抑える──は、小説では一切出てこなかった。恐らく映画のオリジナルなのだろう。
閑話休題。ここで書きたいのは、殺されたチェイスのことだ。彼については映画を観たときには、見栄っ張りで粗暴な典型的ジコチュー男という印象だった。しかし、改めてこれを読んでみると少し印象が変わった。
小説でも見栄っ張りで粗暴であることは変わらないのだが、実はカイアを真剣に愛していたのではないだろうか、と思えたのである。
でなければ別な女性と婚約してからも、カイアからもらった貝殻のペンダントを肌身離さず付けているなんてことはしないだろう。彼もまた彼女を蔑む世間の目と、彼女を愛する自己とのはざまで苦しかったのではないか。
だがだからと言って、チェイスのカイアへの接し方は正当化されるものではない。明らかに間違えていただろう。愛しているからと何をしても良いわけではないのだ。というか、だからこそ相手の気持ちを思いやらねばならないのである。個人主義が先鋭化する現代においては、この辺を勘違いする男が多いように思う。どのみち彼にはカイアを幸せにできなかっただろう。
だが、カイアの父親に始まり、チェイスにも相似した男の身勝手さは、カイアのお腹の子に受け継がれる──、映画のあのシーンはそう語っているように思えた。
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