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12/12CA「告発系youtuberは存在すべきか」



この記事について

12月12日にゼミで行った、「告発系youtuberは存在すべきか」という議論について、まとめる。

議題の背景となった記事

NHK 「「Z李」ら ライブ会場に侵入 警備員に暴行疑い 10人逮捕」
 https://www3.nhk.or.jp/shutoken-news/20241205/1000111791.html

昨今、告発系インフルエンサーの逮捕などが目立っている。12月5日、「Z李」の名前でSNSの「X」に動画を投稿している会社役員やラッパーら合わせて10人が、東京・渋谷区のライブ会場に侵入したほか、警備員に暴行を加えたとして警視庁に逮捕された。Z李とはXのフォロワー90万人以上のインフルエンサーとして、ポーカーYouTuberである「世界のヨコサワ」の脱税、借金問題などを明かし、話題になったことがある。その他にも滝沢ガレソ、エンターテイナー折原などの告発系インフルエンサーは、警察等が逮捕する前にその問題をいち早くX等で取り上げ、企業の不正行為が分かったなどの功罪がある。その一方で星野源を連想させる不倫スキャンダルを事務所がもみ消した、大野智が大麻取締法違反で逮捕されたといった等の本人の名誉を傷つける悪質なフェイクニュースが拡散されたことも話題になっている。SNSが発達した現代でこのようなインフルエンサーの存在は正と負どちらの側面があるといえる。

議題と言葉の定義

「告発系インフルエンサーの是非」について議論。立論者は「存在すべき」であるという賛成の立場から立論するので、立論者以外は、「存在すべきでない」という反対の立場から議論を行った。

言葉の定義: 告発系インフルエンサーとはX等のSNSで活動するインフルエンサーを指す。週刊文春等は除外

(以下 Q=反対(立論者以外) A=賛成(立論者))

Q.同じインフルエンサーを告発する人と考えていいか?
A.すべて含む

意見・論点(立論)とそれに対する議論

  1. 社会的透明性の向上→告発系インフルエンサーによって、一般には知られていない事実を公開することがある。その結果、特定の業界や組織の不正や不透明な部分を明らかになり、公式が謝罪し、改善された例がある(外食チェーンによるハラスメントや某チェーン店の不適切な食材管理等)

Q.切り取られ方によって、誤って伝わる。監視社会が強化されるのでは?
 週刊文春の方が透明性があるのでは?
A.SNSという存在があれば、そもそも拡散される。

2.被害者の声が代弁しやすくなる
→内部事情を暴露することで、声を上げにくい被害者や弱者の立場を代弁することができる。(YouTuberによる3股報道、サービス残業等での未払い問題)その結果、被害者が救済されるきっかけや、同じ被害を防ぐための注意喚起となる。

Q.大きな問題でなく、根本的な解決につながっていない。ただ騒ぎ立てているだけでは?
A.しょうもないのは、理解している。告発によって、会社としてよくなっていく。未熟な業界(youtube)の活性化につながる。

3. 社会的議論の活性化
→暴露された情報をきっかけに、社会で議論が巻き起こることもある。(日本における性加害等処罰の甘さ)問題提起や改革の起点になる可能性があり、不正や権力濫用を受けた規制強化や社会的な変革を目指すことができる。
Q.議論の方向性 私刑が助長される可能性、法治国家としてどうか?
A.警察が扱いきれていない。ストーカー被害など。彼らのおかげで対処できる。
Q.必要悪と考えるのは短絡的。国の制度は整っているはずでは?
A.今の法制度では、裁ききれないことを彼らが示している。彼らのおかげが起点となる。

予想される反論・再反論とそれに対する議論


  1. 情報の信頼性の低下

告発される情報が事実に基づかない場合や、誇張されている場合もある。その結果、その人の名誉を傷つける結果となってしまう
→情報を受け取る側である我々もその精査をすべきである。告発された内容を一種のエンタメと捉えたり、しっかりとした情報源があるものだけ信用したりと、様々な対応をすることで防ぐことができる。また今インターネットリテラシーを持つのが当たり前となった社会において、情報の精査は当たり前にすべきことである。
Q.情報の受け手が精査すべきというのは、理想論では?
 (告発系インフルエンサーはそもそもリテラシーがない。)
A.多数の人は冷静に判断できる。信者は、一定数。

Q.本当に大多数か?
A.エンタメとして、助長されたあとどう受け取るか。

Q.エンタメの限界。社会正義や必要悪をエンタメとしなければならない。(利益を求める)
 人の生死を扱うものをエンタメにゆだねていいのか?
A.すべてを彼らが公開すべきとは思っていない。
 議論の起点になればいい。 

Q.信者は一定数。 多くの人の冷静な判断の限界が、「すき家」の事例によって明らか。
 べき論に過ぎない。この状況でバイアスのかかった、不確かなインフルエンサーが存在するべきなのか?
A.すべてをエンタメととらえるしかない。
  面白がって見ているだけ。情報源をみて判断すれば、ほぼ間違うことはない。起点として必要。

2.告発被害者のプライバシー侵害

特定の個人や組織の情報を無断で公開することで、プライバシーが侵害されるリスクがある。その結果、法的問題に発展したり、告発被害者が精神的苦痛を受けたりする可能性があるのではないか。
→大抵の場合は告発被害者に責任がある場合が多い。(パワハラを行っていた等)事件被害者のプライバシーやそのアフターケアは行うべきであるが、告発被害者(加害者)のプライバシーを守る必要はなく、公開することで同じような被害者を生み出さない結果となる。

Q.「告発被害者(加害者)のプライバシーを守る必要はない」のは、公人である場合で、私人ではない。
  加害者のプライバシーの侵害が起きてしまうということは、告発系インフルエンサーという生業と切っても切り離せない。これは、よくない。
A 週刊文春など、昔から続いてきたこと。
Q.プライバシーを守ることと、事件を追及することは両立できるのでは?A.彼らがいなければ、裁けない人、悪がある。

Q.事件の被害者のプライバシーの問題もあるのでは?(特に性加害など)
A.性被害者が告発(情報提供者)

3.扇動的な影響
告発が感情的に扱われることで、視聴者も感情的になり、不適切な行動をとる場合がある。その結果、対象者への誹謗中傷やネットリンチ(集団攻撃)を助長する恐れがある。また暴露対象者が社会的に追い詰められ、最悪の場合、命に関わる事態になる。
→告発者が感情的な煽りやセンセーショナルな表現を避け、公平な視点を持つことが重要である。また視聴者への注意喚起をすることも重要であり、情報の受け取り方や、冷静な判断を促すメッセージを加えることも効果的である。

Q.告発者が個人やチームで、公平な視点を持つことが難しいのでは?
A.情報が誤っていた場合、叩く人が存在する。告発者は、視聴者の意見を取り入れている。

Q.面白さや視聴数を重視するという偏りが生まれているのでは?

まとめ

「告発系youtuber」には、警察などの現状の制度では明らかにできないものを明らかにできる可能性がある。また、そのことが起点となり、捜査や世の関心が高まるという可能性がある。
一方で、情報の正確性や、加害者や被害者の保護という点では問題がある。

筆者の意見としては、彼らの存在をどうとらえるのか。また、SNSは、信じたいものを信じ、より過剰に物語的になっていくと思う。その中で人々はどれくらい情報を取捨選択し、考えていけるのか。を考え続ける必要があると、考えた。



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