28歳にとって40歳は友達
みなさんご機嫌よう。もーやんです。
自他ともに認めるアラサー(28歳)になった本年。主観としては高校・大学辺りから変わってないのですが、きっと高校生が私を見たら”大人”に見えてるのは分かるようになってきました(*'▽')
10代などと比べて何が変わったのか、『友達』から考えてみます。
○10代の頃の友人は・・・
学生時代の友人と言えば、クラス・部活・友達の友達・バイト仲間という4つのカテゴリのどこかに必ず入っていました。
特に仲が良いと、休みの日も一緒に遊んでましたよね。苦楽を共にし、まさに身内な感じ。
○今の友人は・・・
今、私が仲が良い人!と思い浮かべるのは、学生時代の友人が大半。でもそこに、仕事仲間・習いごと・親の知り合い・各所で意気投合した人が追加されるの。
ポイントは2つ。
1.友達⇒仲が良い人という呼び方がしっくりくる
2.各所で意気投合という新たな出会い方が追加される
どうです?なんか、「そうかも…」と思うんじゃないかしら?
○友達の定義が広くなる
大人(笑)になった今、学生の頃の「うちら、ともだちー!」みたいなグループ感が薄くなりました。みんな、それぞれに所属するグループが増えて、ゆるーくひろーく。浅い関係かと思えば、数年振りでもすぐ濃く楽しめる。
・親の知り合い
そもそも、親の知り合いと仲良くなるなんて、10代の頃はあまり想像しなかったわよね。だって、親の年代の人達と気軽にお喋りって・・・当時の私は『よそいきスタイル』でしか話せなかったの。
でも、今は割と「気遣い6:本音4」くらいで話せるのよ。不思議と、相手も対等に気遣ってくれるのが分かるのね。
・各所で意気投合した人
新しい友達が増える場所として、学生時代とは違う出会い方が増えました。それが、この各所で意気投合した人々。
居酒屋の常連さん・カフェの店長さん・カフェの店員さん・美容室の担当の人・習いごとの先生・イベントで知り合った人etc...
こーゆー出会い自体は学生時代もあるのよ。でも、彼らと年齢が近づくにつれて、今まではどんなに楽しくお喋りしても「学生」として気を遣われた自分が、相手にとって話しやすい、うっかり心を許せる存在に変わったみたい。
自由にお金を使えるからこそ、相手との関係もどんどん深くなって、気付いたらゾーンを離れたやりとりとか、一緒に飲みに行く関係に( *´艸`)
そうして、今度はそれが仕事に繋がったり。これは大人だからこそね。
・友達と呼ぶのは気軽すぎだけど、知人と呼ぶのはよそよそしすぎる人
例えば、習いごとの先生。
彼女は私と同じ干支の年上女性。レッスンで何回も会って、気が合うなと感じてどんどん仲良しに。何回も2人でご飯や飲みに行って、恋バナとか人生観とか、家族の話とか色々するように。
よく話すのは、「人って、たとえ15歳上でも”大人”とは限らない。。。」ってこと( *´艸`)
彼女は、私にとって『とっても仲の良い人』ですが、『友達』と呼んでいいかは謎。だって先生だし。でも、知人なんてよそよそしい感じじゃないわ。
そーゆー感じの人が、年を重ねるごとに増えてきます。
○子供の頃感じた、”大人”への違和感は正しい
今だから分かるの。子供の頃、舌打ちしながら「理不尽…」「無責任…」「幼稚…」と感じたことは、すべて合ってたということ。
自由で裁量のある大人よりも、子供たちは枠の中で縛られます。そんな、人間関係も濃くてとっても社会的な存在だからこそ、子供の方が冷静で合理的なことは多い。
てんぱって、あわわ…とか。イライラしてカッとなったり。弱い存在と勘違いして威圧的になったり。そこまでいかなくても、大人だからしっかりしなきゃ!と頑張る私を、彼らは言語化できなくても敏感に察知してます。
こうやって振り返れるのは、幅広い年代と沢山話して、「大人って、老けて見えるだけで、みんな悟ってるわけじゃない」と実感できたからなの。
自分含めて。笑