推しのためにできること【お客様サポート紹介-奥根麻美-(前編)】
今回ご紹介するのは、ジェイック就職カレッジお客様サポートとして活躍する奥根麻美。
元就職アドバイザーの経験を活かした情報提供力と、求職者の気持ちを一番に尊重する電話対応が好評です。
前編では、そんな奥根が「親身に話を聞くスタイル」を身に付けるに至った、学生時代の経験を語ってもらいました!
人見知りを知らない幼少期
東京の下町で生まれ、6つ上の兄と二人兄妹です。父と祖母が地元のお祭りの運営委員をしていたことから、しょっちゅう自宅の玄関土間には近所のおじさん・おばさんが集まっていました。加えて、兄の学校の友達が家にきて遊ぶことが多かったので、幼い頃から常に家族以外の誰かが家にいる環境で育ちました。
そのお陰で、よく知らない人から挨拶や声をかけられたらとりあえず返事をする、人見知りとは縁遠い性格に育ちました。そして、毎日代わる代わるたくさんの人が家に遊びに来てくれていたので「今日は誰かな?」と、好奇心から人をよく見るようになりました。
自分から話しかけてコミュニティをつくる学生時代
中学から電車通学が始まりました。私のように越境して通う同級生も一定数いましたが、近所の小学校から進学した同級生の方が割合としては多かったので、既にできあがっているグループがある状態から中学生活が始まりました。
そこで、自分のように越境して通っているがゆえに教室でひとりポツンとしている同級生に、元来の人見知りしない性格を活かして積極的に話しかけて交友を広げていきました。新しい環境でも気が合う友達を見つけたり、コミュニケーションをとることは我ながらうまかったです。
だから今思うと「電話越しに初めて会う求職者のお話を聞く仕事」は、幼い頃からの自分の強みを活かせていると思います。
推しに認知されたくて
高校では倫理の勉強に打ち込みました。結果的には倫理の科目そのものも好きになりましたが、最初から勉強が好きだったわけではありません。
実は倫理の先生がおもしろくて好きになり、「先生に名前を覚えてもらいたい」と思ったことがきっかけで、勉強を頑張るようになったのです。
いわゆる「推しに認知されたい!」というモチベーションですが、この推しへの想いが功を奏して、学年1位の成績を1年間取り続けました。
推しが喜ぶことをしたい
毎回1位を獲り続けたことで、結果的に先生からは無事に認知を得ました。それだけでなく、職員室に行って「1位獲れましたよ」と話しかけると「知ってるよ、俺が採点したからね」と軽口を叩いてくれるほどお近づきになれた経験は、達成感が得られたことはもちろん、「推しの喜ぶことがしたい」という新たなモチベーションに繋がりました。
合唱部でのサポート
「推しのために頑張りたい!」という感情が反映されているエピソードは他にもあります。高校では合唱部に所属し、リーダーが推しの存在でした。
リーダーはメンバーをまとめること以外にも、学校とのやり取りやその他庶務が多くあり、忙しそうな様子をよく目にしていました。
だからリーダーの負担を少しでも減らせるように、「何か手伝えることはない?」と積極的に声を掛けたり、パートに合わせた個人練習の担当を代わりに請け負いました。
自分の言動を必要に応じて変える
合唱部での経験から、「推しの喜ぶことがしたい」気持ちをモチベーションに、その時必要とされている自分の言動を意識的に変えられるようになりました。
だから今、求職者と電話で接する仕事をする中でも「就活の情報収集をしたいのかな?」と思えた方には適切なご案内を心がけていますし、「まずは話を聞いてもらいたいのかな?」と思えた方には親身に耳を傾けるなど、おひとりおひとりに合わせた対応をしています。
充実したキャンパスライフを送りたい
大学は片道1時間半かかる女子大へ進学しました。この大学は学生の人数が少ないことから、サークルも部活動もあまり活発ではなかったので、最初はどの団体にも所属せず、家と学校とアルバイト先のみを行き来する生活でした。
ただ、せっかく片道1時間半かけて綺麗なキャンパスに通学をしていたので、「充実したキャンパスライフを送るために何かを始めたい!」と考えました。
ポケモンサークルの立ち上げ
そこでクラスを見渡すと、ポケモンのキーホルダーを身に付けている同級生が数人いたので「一緒にポケモンサークルを立ち上げない?」と友人に相談しました。
すると思いの外乗り気で快諾してもらえ、私が部長を務めるサークルが生まれました。その後は校内で話題を呼び、なんと開設初年度にも関わらず、全校で23人も部員が集まる大所帯サークルになりました。
だから「自分が作ったサークルにせっかく集まってくれたのだから、メンバーには楽しんでもらいたい」という気持ちで、活動を始めました。
在り方を探った1年目
ひとえにポケモンサークルと言っても、人によってやりたいことは様々です。ゲームをやりこみたいタイプ、アニメや映画が好きなタイプ、推しキャラのグッズを集めたいタイプなど、何に楽しみを見出すかは人それぞれでした。
だからサークルを立ち上げたものの、みんなで一緒に何かをするわけではなく、部室に人が集まってそれぞれ思い思いに過ごす日々が続いていました。
そんな状況だったので「せっかく集まってくれたメンバーに楽しんでもらうためにも、ちゃんとポケモンを通して繋がりたい」と、活動方針のテコ入れを決意しました。
学外と繋がりを築き始めた2年目
そこで外部の友人に声を掛けて、他大学のポケモンサークルとのコミュニティを作り始めました。意外にもポケモンサークルがある大学は多く、SNSを通じて全国の大学とコミュニティが作れただけでなく、自大学主催で5大学合同のイベントを提案したところ、なんと89名が参加する大々的なバトルトーナメントの開催が決まりました。
その他文化祭ではゲーム内のお菓子を再現したり、遊びに来たこどもたちとぬり絵やカードゲームをしたり、様々な経験ができました。
サークル立ち上げ前の自分は、友達とのおしゃべりと、授業のためだけに大学に通っていました。そんな生活から、いつしか学内の繋がりが生まれただけでなく、学外の様々な価値観を持った仲間が増え、大学生活が一気に楽しくなりました。
仕事にも繋がる「様々な価値観に触れる楽しさ」
「この楽しい大学生活を自分で作れている!」という感覚はもちろん嬉しかったですし、なによりも学内外の大勢の人と関わることで、「様々な価値観を持つ人と関わるっておもしろい!」と自分の世界が広がっていく感覚でとても充実していました。
だから今、様々な状況・背景を抱えた求職者と関わる就職支援の仕事を心から楽しめているのだと思います。
ポケモンの生みの親との交流
これだけでもとても充実したサークル活動でしたが、3年目にはひょんなことから、ポケモンの生みの親がイベントに参加してくださる機会に恵まれました。
最初は友達に声をかけたところから始めた小さなサークルが、徐々に学内で仲間が集まり、学外コミュニティの規模が大きくなり、そしてついには運営会社と活動できるほどに成長していった過程は、今思い返しても貴重な経験でした。
入ってくれたからには楽しんでもらいたい
こうしてサークルは大きくなっていきましたが、どんなに大きくなっても、私の根底には「自分が作ったサークルに入ってくれたメンバーには楽しんでもらいたい」という気持ちがずっとあり続けました。
そんな想いで活動をしていたので、困っている人やつまらなさそうにしている人には特に気が付きましたし、「その人のために自分ができること」を常に探して行動していました。
思い返せば中学生の時にひとりでポツンとしている同級生に積極的に話しかけに行っていたのも、高校合唱部の時に推しリーダーのフォローをしていたのも、推している・いないに関わらず「人のために自分ができることを探して、コミュニケーションを取りたい気持ち」が原動力にあったのだと思います。だから「人とコミュニケーションを取れる仕事」を軸に、就活を始めました。
きっかけを与えてくれたキャリア課の職員
「人とコミュニケーションを取れる仕事」を軸に、手当たり次第に説明会に行ってみたものの、「就活って何をしたらいいんだろう?」と漠然とした気持ちで進めていました。
そんな時にいつも話を聞いてもらっていたのは、大学のキャリア課の職員さんでした。雑談交じりで就活の相談をする中で、根気強く「何が好きなの?何が嫌なの?」と自分の軸を一緒に言語化してくれたり、面談後に「こんな求人あったよ」と自分に合いそうな求人をメールで送ってくださるきめ細やかさが心地よかったです。この職員さんとの出会いから、こう考えるようになりました。
前職の人材業界派遣へ入社するも・・
そしてその職員さんから紹介してもらった求人のひとつが、前職の人材派遣の営業の仕事でした。営業職での募集ではありましたが、企業相手だけでなく求職者と関わる業務もあるとのことだったので、「これなら人とコミュニケーションを取るだけでなく、様々な価値観を持った人と話せる!」と魅力を感じて入社を決めました。
ところが、結果として2年弱で短期退職をすることになりました。
【後編に続く!】
自ら充実した大学生活を作り出し、前職に入社したのも束の間、わずか2年弱で退職をすることになった奥根。
後編では、前職の入社後ギャップと、ニート経験、そして転職先であるジェイックでの就職支援に懸ける想いに迫ります!
後編はこちら!
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