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『飛び散れ、水たち』を読みました。

『飛び散れ、水たち』
近江瞬
[左右社]

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スマホで撮ってそのまま貼ったら、画像のサイズが大きくて驚いています。
noteの使い勝手がわからないまま、失礼します。

タイトルのもととなった歌がとても素敵でとても好きです。
歌からそのまんまじゃなかったのですね。読点部分に入る言葉が、とっても素敵ですので、ぜひ歌集でご覧になってください。
好きな歌を挙げていきたいのですが、書ききれないので悩んでいます。
他の場所で見かけなかった歌を、なるべくなら。


爪切りの中に散らばるさっきまで君の一部であった三日月
三日月を、切った爪みたいだとtweetする方は、以前短歌をやられていた方でした。お元気ですか。 
「さっきまで君の一部」がいいな、と思います。比喩も素敵だけれど。

ベランダで黒板消しを叩いてる君が風にも色を付けつつ
今はクリーナーでブーンでおしまいで、黒板消しを叩くことはないので、懐かしい風景。チョークの粉が舞っているのだと思うのですが、風に色を付ける、という表現がとてもいいと思いました。美しい…。

みずうみの波の始点となるような声にならない君の耳打ち
みずうみの波の始点、という表現にやられました。歌全体の雰囲気にとても合っている気がします。

まちの色を吸い込みながらビニールの金魚と祭りの帰路を泳いだ
「ビニールの金魚」はおそらく、ビニール製の金魚ではなく、ビニール袋に入った金魚ですよね。余分な説明が省かれているのに、情景が見えるのがいいです。「泳いだ」が金魚にもかかっていると思うのですが、人混みであったこともわかります。言葉の扱いが素敵です。

ビニールの中の金魚におそらくは最初で最後のまちを見せてる
これは順番でいくとここではなかったのですが、並べてしまいました。
ビニールの中ということはまだ帰路でしょうか。帰り道が都会だったのでしょう。帰ったらもう二度とそんなところに来ることはない金魚。
ビニールを持っている人の視点なのに、金魚の視点にもなれるこの歌、優しくて好きです。優しいような残酷なような。

雨に濡れカラーコーンは赤あかと拒むべき誰かを待ち焦がれてて
拒むべき者を待ち焦がれるというこの視点が好きです。カラーコーンの役目なので、そこは。雨に濡れたカラーコーンは色が濃くなるんですよね。そのあたりも含め、これも情景が浮かびます。そして切ない。

はじまりの夏 田園に水張られ陸と空とが隣り合っている
「初夏」ではなく「夏のはじまり」でもなく「はじまりの夏」。ここにまずやられました。田園の風景も。ちょうど今の季節ですよね。
今年は、ちゃんと見ることができていません。

無人駅のベンチの裏の約束を空にさらしている水たまり
無人駅を使ったことがない人もいらっしゃるかもしれませんね。どうでしょう。いらっしゃるかな。
近江さんの短歌は、映画のワンシーンのような情景が浮かぶ歌が多い気がします。

「訳あり」と呼ばれてもいい傷付かず生きるのは難しいよな、煎餅
最後の意外性かつ具体性が最高です。急に現実のこととして迫ってきます。
「訳あり」だから手元に来たのかもしれないし、味は変わらないだろうし、おそらく主体はその煎餅を食べるんですよね。
読んでいると、踏ん張っていた力が緩みます。

下降するエレベーターの中にいて夜に立つビルを泣かせてしまう
この歌集を買おうと思ったきっかけとなった歌です。
心情のようで、情景描写なんですよね。泣いているから心情なのですが、でも。ガラス張りの外から見えるエレベーターを想像して、エレベーターを涙に喩えるなんて天才!と思いました。

「話を聞いて」と姪を失ったおばあさんに泣きつかれ聞く 記事にはならない
記事にはならないそんな話がたくさんあるのだろうな、と思わせます。そちらのほうがむしろ多いのでしょう。話したい人も、たくさんいそうです。
このおばあさんは、誰かに話を聞いてほしかったのでしょうか、それとも記者に聞いてほしかったのでしょうか。

三月十二日の午後二時四十六分に合わせて一人目を閉じている
震災が原因で数日後や数か月後に亡くなった人もきっとたくさんいて、震災が起こった時間に黙とうすることに対して疑問を感じている人のtweetをずいぶん前に見かけた気がするのですが、こうして個人的に偲んでいる人も、たくさんいますよね、きっと。

被災地視察に新大臣が訪れる秘書の持つ傘で濡れることなく
何も書くことは、ないです。


震災に触れているようで触れないようにしているようで触れている、繊細な歌集だと思いました。近江さんにしか書けない歌と文章でした。

短歌が好きな方ももちろんなのですが、震災のときにつながった方たちにも読んでいただきたいと思いました。

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