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ハードボイルド/フリーウェア

 世界最初の探偵小説『モルグ街の殺人』は1841年、アメリカ人のエドガー・アラン・ポーによって執筆された。しかし彼が生み出した「探偵小説」というフォーマットは本国アメリカではなく、むしろ大西洋の対岸イギリスにおいて著しい発展を遂げた(ドイル、クリスティ、チェスタトン……)。かくしてアメリカは、自らが生み出した探偵小説というジャンルをイギリスから逆輸入することとなった。
 アメリカの作家たちは探偵小説を新大陸の土壌に根付かせようと奮闘した。その実験の中からアメリカ人は全く新たな探偵小説のジャンルを産み落とした。そう、ハードボイルドである。
 最も有名なハードボイルドの作家はレイモンド・チャンドラーだろう。彼の生み出した探偵「フィリップ・マーロウ」の性格は、今なお世界中のハードボイルド作品に模倣され続けている。
 シャーロック・ホームズがイギリスの探偵の代表であるように、フィリップ・マーロウはアメリカの探偵の代表である。二人は全く異なる種類のキャラクターだ。さて、両者の性格の差は何に由来しているのだろうか。

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 ホームズとマーロウの差を表にすると次のようになる。

対立

「探偵」と「舞台」についての説明は不要だろう。よってまずは「財源」から説明していきたい。なお、本稿は基本的に両シリーズの最初の長編小説(ホームズにおける『緋色の研究』、マーロウにおける『大いなる眠り』)を典拠としている。
 『緋色の研究』においてホームズはスコットランドヤード(警察)から依頼を受けている。ホームズは行政から推理を委託されていたのだ。もちろん警察はホームズを疎ましく、ホームズは警察を愚かしく感じている。しかし両者はあくまでも共同戦線を組んでいるのだ。
 ドイルの描く警察が愚鈍だが善良であるのに対し、レイモンド・チャンドラーの描く警察は腐敗を極めている。『大いなる眠り』のハリウッド市警はやくざに買収され、犯罪を黙認している。マーロウは民間の富豪から依頼され、警察と対立しながら独自の捜査を進める。ホームズが官営的であるのに対しマーロウは民営的なのだ。マーロウが「自由」の象徴になり得ているのも、彼が民営的だからだろう。
 ホームズは市場の自由競争に晒されていない。警察と繋がっているかぎり、彼の生活は安泰なのだ。よって彼は推理を遊戯として進行させる。一方マーロウは推理をあくまでも労働として、頭脳と肉体に鞭打ちながら進めていく。それゆえマーロウシリーズには銭勘定の描写が頻繁に登場する。
 ホームズは文部科学省から予算を得て研究に励んでいる国立大学の学者に似ている。学者と同じくホームズは自らの到達した真理を私有しようとしない。学術論文が全世界に共有されるように、ホームズの推理もワトスンによって全世界へと公開される。ホームズにとって推理という情報は一種の公共財なのだ。
 それに対しマーロウは推理結果(情報)を得ることによって口を糊している。彼の周りにワトスンのような友人はおらず、彼自身も自らの冒険譚を公開しようなどとは考えていない。そのようなことをすれば彼は依頼主からの信用を失ってしまうのだ。よってマーロウは推理という情報を一種の私有財として秘匿し続けている。
 この違いは両者の魅力の差にも繋がっている。ホームズの推理力はワトスンによって世間一般の知るところとなっている。よって彼は(もっと言うとドイルは)「正しさ」を自らのアピールポイントとしている。それに対し、マーロウの推理力が作品世界の住人に示されることは無い。彼は「正しさ」を他者に示すだけの根拠を持たないのだ。それでは彼は(もっと言うとチャンドラーは)いかにして自らを周囲に売り込むのか。そこで重要となるのが、所謂「ハードボイルド」の美学である。
 正しさは共有可能だが美しさは共有不可能だ。A氏にとっての正三角形はB氏にとっても正三角形だが、A氏にとっての最適なファッションがB氏にとっても最適なファッションであるとは限らない。身体やセンスなどといった非言語的な因子によって支配されている以上、美が平等に分配される日は永遠に訪れないのだ。そしてその「美しさ」の私有によって、マーロウ(もしくはチャンドラー)は資本主義社会を生き抜いたのである。
 ホームズはイギリス人だ。イギリスは帝国主義の時代も福祉国家の時代も、政府による市場への介入を比較的善しとしてきた。対してアメリカは一貫して自由主義の国だ。ホームズとマーロウの間には、両国民の経済観の差が横たわっているのだ。

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 今、情報を私有財とする考え方は急速に古びつつある。
 ウィキペディアンは人々に無償で知識を提供し続けている。写真家はクリエイティブコモンズライセンスのもとに自らの作品を公開し、プログラマーは複製されることを想定して優れたソースコードをインターネットに放出している。消費者も「情報は所有するものではなくアクセスするものだ」という意識を持ち始めている(音楽業界などにおけるサブスクリプションサービスの成功はその証左だ)。楽観的な人々は、これらの変化の中に「国家にも企業にも縛られない自由で平等な共有型経済」の誕生を見出している。
 情報の売り買いによって生計を立てているマーロウのような人間にとって、そのような予想は信じ難いものに違いない。もちろん彼にも理想はあるが、それ以上に彼は一介の生活者であり冷徹なリアリストだ。シェアリング・エコノミーへの楽観的予測は彼のリアリズムに反している。
 一方、ホームズは彼らの予測に興味を示すかもしれない。しかしそのような経済はいずれ国家の範囲外へと向かっていく。それが行政の手に負えなくなった時、スコットランドヤードは彼に抑圧への加担を依頼するだろう。
 情報化社会は人々を国家や企業から解放するのか。解放が起こった場合、その社会ではいかなる探偵小説が読まれるのか。私は未だ明確な結論を見出せていない。しかし、期待は抱いている。私はホームズやマーロウを愛している。しかし、だからこそ私は新たな探偵を渇望しているのだ。ホームズやマーロウの地平を乗り越える、新たな経済に即した名探偵を。

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