「じゃがいも」のお寺話61 木喰
木喰仏という仏像がとても有名だと思います。円空仏と並び日本中に広く残っています。独特の笑みを浮かべた表情が特徴で「微笑仏」(みしょうぶつ)と呼ばれます。とてもほっこりする優しい雰囲気の仏像が木喰仏です。
当たり前ですが、木喰が彫った仏像なので木喰仏です。木喰は円空と同様に僧侶であり各地を遊行しながら遊行先で仏像を彫る仏師でもあります。
今でも約600体の木喰仏が日本の広い範囲に残っいるようです。
木喰(1718年〜1810年)は山梨県の身延の生まれです。一部に1728年生まれを示す資料があるようですが一般には1718年生まれとされていると理解しています。
13歳の時、畑仕事に行くと言い残して江戸に向かったと伝わります。(1731年)その後僧侶として出家をし(1739年)修行の末に木食戒を受けて(1762年)木喰と名乗るようになっていったようです。
木食戒とは「穀断ち」などとも言われる修行の一つです。穀物をどの範囲までにするかは宗派で異なるようですが、米や麦や豆などの穀物を食べないで、木の実や草の根などだけを食べて生活する修行です。
一般名詞として修行の名としては「木食」と口がつかない「食」の字を使いますが、固有名詞に近い僧侶の名の「木喰」や仏像の「木喰仏」は口をつけた「喰」の字で表すのが通常です。木喰が最初は自分自身を「木食」と記載していましたが、次第に「木喰」と記載するようになったようです。「木喰行道」「木喰五行菩薩」「木喰明満仙人」などの記載が残っています。
木食戒をうけて11年後(1773年)、木喰が55歳の時に日本全国を修行するに旅に出ます。北は北海道から南は鹿児島まで全国を巡って仏像を残しています。92歳でなくなる時には生まれ故郷辺りに戻っていたようですが90歳までは仏像を彫っていたと伝わります。
円空は1695年に亡くなっています。木喰は1718年に生まれています。直接会うことは叶いませんが、木喰は円空仏を北海道か、どちらかで見て円空を知っていたのではと想像させる記録が残っているようです。
木喰仏は通常我々がお寺のお堂で拝観する仏像とは全く違う「微笑仏」(みしょうぶつ)です。仏教の教えと仏像の姿にルールがあるなら、木喰仏はルール無視の我流の仏像かも知れません。仏像と言えるのか議論の対象になり得そうです。しかし木喰仏には民衆を幸せにする力があると感じます。素晴らしい仏像だと感じます。是非とも感じて欲しいです。
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