雪解け

高野山へ。 真言宗の霊場であり、ユネスコ世界文化遺産に登録された高野山も大阪から1時間半ほどで着きます。 青い空、木々の深い緑、そして道に残った雪の白はとても鮮やかで美しいコントラスト。 ピンとはった冷たい空気の中、厳かで深く、麗々しく、清らかでした。 「高野六木」(檜、杉、樅、栂、赤松、高野槙)で有名な高野山は、参道を歩いているだけで緑のエネルギーをどんどん吸収していきます。 そういえば・・・最近、観葉植物やお花など頂いたり、自分で買ったり。緑のパワーを必要としていました。 2月最終日、人気がなく静かな高野山。壇上伽藍から大門まで徒歩で往復。そして奥之院へ。 一層冷気を頬に感じながら 弘法大師御廟をお参りしました。   帰り道、司馬遼太郎の文学碑を発見。 「高野山は、いうまでもなく平安初期に空海がひらいた。  山上は、ふしぎなほどに平坦である。 そこに一個の都市でも展開しているかのように、堂塔、伽藍、子院などが棟をそびえさせ、ひさしを深くし、練塀をつらねている。枝道に入ると、中世、別所とよばれて、非僧非俗のひとたちが集団で住んでいた幽邃な場所があり、寺よりもはるかに俗臭がすくない。さらには林間に苔むした中世以来の墓地があり、もっとも奥まった場所である奥ノ院に、僧空海がいまも生けるひととして四時、勤仕されている。 その大道の出発点には、唐代の都城の門もこうであったかと思えるような大門がそびえているのである。 大門のむこうは、天である。山なみがひくくたたなづき、四季四時の虚空がひどく大きい。大門からそのような虚空を眺めていると、この宗教都市がじつは現実のものではなく、空に架けた幻影ではないかとさえ思えてくる。 まことに、高野山は日本国のさまざまな都鄙のなかで、唯一ともいえる異域ではないか。

司馬遼太郎文学碑(「高野山管見」「歴史の舞台―文明のさまざま」より)

  スコンと頭の上が抜ける空間と時間を体感するのって、大切ですね。

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