ちょっと+軽くを検証してみた。

「ちょっとだけでいいんで」「軽くで構いません」「簡単に」 ごくたまにこんな言葉に行き当たります。 おそらくは「お忙しいでしょうから」とか「長い時間でなくても良いんです」という、その方なりの気遣いなのだと思います。 でも、正直私はこういう風に言われると戸惑うこともあります。 他人の言葉に反応して、アァなんて未熟な私、、、と反省しつつ。言葉の意味をかみしめて使っていこうと自戒します。 プロに「ちょっと」も「軽く」もない。 時間の長短はあっても、提供される答えやサービス、技術はプロのそれではないか、などと思ったりします。 知識や情報、時間や空間など品物ではないものを媒介に商売をしている人がいます。私もその一人ですが、目に見えないものに対して価値を見出したり、活用するにはある程度の知性と余裕がいることなのかも知れません。 私はこの仕事を始めた時から良いお客様に恵まれ、さわやかで気持ちの良いお付き合いをさせていただきました。そのことをいつも感謝しているのですが、最近私のお客様が特別なのだと知り、より一層稀なるご縁に感謝しました。 先日ある集まりに仕事と関係なく出席した際、そう考える機会がありました。 豊かなミドルエイジの女性が集まる会でしたが、私が手相を読めると知るや否や手を突き出してくる人、自分の今年の運勢を聞いてくる人。最初はくだけたコミュニケーションの一つかなと思いました。あっけらかんとした子供っぽい態度で微笑ましい雰囲気を作ろうとしてくださっているのか、と少々固まりつつ(笑)。 「時間がないのでパパッとでいいんです。」パパッと。。。自分のお時間はないけれどこちらの時間には侵食してくるわけですね。。。ちょっと意地悪な気持ちが心を横切りました。「短い時間でも基本料金は同じですが良いですか?」とお尋ねすると、ないはずの時間は逆転し(時間が)あるようになるか、また今度にしますとおっしゃるか。言わないまでも「サービス(無料)じゃないの?でも甘えてお願いしたらやってくれるかしら?」と表情に浮かべる方々。(私が読めるのは手相だけではありませんよー。笑)その方々はソフトに値切っていたんでしょうか? いやいや、きっと何も考えずに振る舞った行動に違いありません。 いちいち捉えず考えず、もっと明るく軽く受け流せたら良いのになーと自分の頑なさを自覚しました。 私は変なところで真面目で(遅刻しますが。。)、目に見えない形のないものを媒介として、未だ起こっていない可能性について話すのだから、どこまでも真摯であるべきだと考えていたりします。 話の上手さで相手の気持ちを高揚させる(あるいは悲観させる)テクニックで悩みや未来のことについて語るのは危険だとも思っています。占いの楽しさやエンターテイメント性は素晴らしいと思いながらも先人が伝えた普遍性と本質を捉える教えを大切にしたい。 そんなことで私なりに一生懸命勉強と修行を重ねて、卒業のない学びを重ねているつもりです。 パパッとや簡単にに軽やかに対応し、相手に合わせて軽く対応する、それは今の私にはないスキルだなーと改めて実感する経験と出会いでした。 もしかしたらいつかそのスキルを身につけることができるのかも知れませんが、今それに自ら挑戦すると大事なものを犠牲にしてしまうと思うので、しばらくはこのまま、悶々を抱えながら不器用にいきたいと思います。 頑固ですね。 柔軟でたおやかになれるように空を眺めることにします。笑

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