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月と兎の神社
12月12日、僕はとある神社に向かっていた。その神社では年に一度の大きな祭が行われるとあって、神社へと続く道には多くの屋台が出店し、昼過ぎにも関わらず大勢の人で賑わっていた。僕はこの神社の名前と特徴を知った時、あるライバーのことを思い起こさずにはいられなかった。その名は調神社(つきじんじゃ)である。
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今回の起点は浦和駅だ。浦和は人口130万人以上の政令指定都市であるさいたま市の主要な街の1つで、さいたま市役所や埼玉県庁の最寄り駅でもある。130万といえば、本記事を執筆している時点で月ノ美兎のチャンネル登録者数は132万人である。日本で9番目の市の人口と同じ位の人がチャンネル登録をしているという状況は想像がつかないものだ。
駅の西口を出て少し歩くと、旧中山道との交差点あたりから沿道に屋台が並ぶ。平日の昼過ぎだというのに多くの人が歩いていた。色とりどりの屋台に交じって、宿場町だった頃からありそうな古いお茶屋が店を出していた。
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そのまま旧中山道沿いに進んで、神社の入り口付近に着いた頃、屋台の裏に絵画教室を見つけた。絵画教室といえば美兎委員長もかつて通っていたことがあるようで、雑談で度々話題にしている。特に吹き戻しの話は彼女のその後の価値観に大きな影響を与えたようで、僕もその話は印象に残っている(配信のアーカイブは下記)。とは言え、僕は実際の絵画教室を目にしたのはこれが初めてだった。僕は美術とは縁のない進路に進んだので、実際にそのような世界が存在することを意外な場所で実感することになり、不思議な縁を感じたものだ。
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そして調神社(つきじんじゃ)に到着した。多くの参拝客で賑わっているのだが、入口の写真を見て何か気付くことはないだろうか。ほかの神社とは何かが違うのである。まず、神社の象徴ともいえる鳥居がない。そして、両脇に鎮座しているのは狛犬ではなく、狛兎だ。神社の入口に兎がいるのは珍しいとあって、写真を撮っている人も見かけた。
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兎はまだまだ現れる。手水舎にいるのも兎だ。何とも言えない表情で、口からちょろちょろと水が流れていた。コロナ禍の影響か柄杓はなくなったようで、口から流れる水で直接手を清めたが、思ったほど冷たくはなかった。
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その後本殿で参拝をした。本殿にも兎にまつわるものがあるか探そうと試みたが、かなり混雑が激しかったので写真を撮る余裕はなかった。そして、イチョウの葉にまみれ、銀杏の匂いがする境内を歩いていると再び兎を発見した。こちらの兎も口から水を出している。
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そもそも、なぜこの神社は調神社(つきじんじゃ)と名付けられ、境内にはたくさんの兎がいるのか。
「調宮縁起」によると、調神社は約2000年前に第10代崇神天皇の勅命により創建され、伊勢神宮へ納める貢物(調)の集積地に設けられたために貢物の搬出入の妨げになる鳥居がないと伝えられている。平安時代中期の延喜5年(905年)に編纂が始められた「延喜式神名帳」に、武蔵国四十四座のうちの一社として記載されている。
また、調(つき)は月と同じ読みであり、月に兎がいるという伝説から兎が神の使いとされ、中世の月待信仰の広がりと結びつき、江戸時代には月読社とも呼ばれていたようだ。
そして12月12日には「十二日まち」という調神社で最大の祭りが開催され、境内や隣接する公園には縁起物である熊手を販売する多くの店が出店する。日没後の境内は非常に混雑し、歩くのも一苦労だった。熊手には地元の企業や医院、個人の名前が書かれており、大きいものはかなりの値段がするようであった。そして客が受け取りに来ると三々七拍子をして商売繁盛を祈願して盛り上がっていた。
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最後に、調神社で買ったお守りを紹介する。この「神卯絵馬守」は絵馬の形をしたお守りで表面には兎、裏面には月が描かれている。もはや「月ノ美兎」お守りと言っても過言ではないだろう。
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今回の散歩はそれほど長時間ではなかったが、「月」「兎」「絵画教室」と月ノ美兎を構成する重要な要素を見つけることができた。神社には鳥居があって狛犬がいる。絵画教室ではモチーフ全体を1枚の絵に収める。一見当たり前のように見えることから少し外れたものが誕生したとき、それまでの定義は簡単に揺らいでしまう。鳥居のない神社では兎が神の使いを担っていた。これは単なる偶然なのだろうか?