歌ってないと駄目だ!!
今日久しぶりに声楽のレッスンに行った。というか行けた。ここ何ヶ月のうち、一回位しかレッスンに行けてなくて、もう毎回毎回先生にお休みのお詫びをメールでご連絡するのが申し訳なさ過ぎて、心が折れそうで、もういっそやめてしまった方が良いのではないか位思い詰めていた。昨晩辺りは特に。
長年師事した師匠の所を離れ、歌わせて頂いていたセッションバーは、お客様で行ってた時は良かったんだけど、頼まれてバイトをしたら、私のコミュ障とADHD傾向がもの凄く顕著に接客に出てしまい、余り良い感じで辞めたわけではないし、その後すぐコロナ禍でお店もどうしているやら判らなかったし、一度も行けていない。今の私に、「誰かに聴いて頂くために歌う場所」は何処にもない。
今日も今日とて調子が良いわけでもなく、薬を飲んで本当にギリギリ一杯まで寝ていて、そこから這いだしてレッスンに行った。仕事で嫌なことありすぎて、家にいたら休みの日なのに仕事が追いかけてくるような有様だったから、それなら辛い躰を引きずってでも歌いに行った方がいい。
寝起きで声出るのかなと思いいながら一応お白湯とかで喉を温めつつさっくり着替えて、途中仕事の郵便物やら宅配便やら出しながら(繰り返しますが本日私は定休日ですよ)、先生の所に辿り着いて、何のこともなくいつも通りに迎えて頂いてお喋りして、で、発声練習に入ったら、本人が「はぁ?」って思うくらい出た。なんていうか、ベルカントの芯を全く外すことなくぶれずに遷移出来た。なんだこりゃ。さぞかし出ないだろうなぁと思って覚悟していったのに、声はしっかりちゃんと学んだ物を覚えていてくれた。寧ろ調子良いくらいだった。普段だったら出ない所まで出たしね。
先生は「蓄積よ」と笑っておられた。あぁ、10年近くの努力は、半年の具合の悪さにぶち壊されることはなかったのかと本当にホッとした。そしてなにより、私は歌ってないとやっぱり駄目なんだなって思った。向上心も、自己肯定感も、私には歌を通してしか感じることの出来ない感情なので、それがなくなったらそりゃただ毎日もの凄くカジュアルに「死にてぇ」としか思わないよね。
twitterで良くRTするアボガド6さんて方の絵には、もの凄くどろどろした闇の昏さがあるものが割と多めなんだけど、「あぁ、これ今のアタシだ」って思うことがままある。勿論そこまで厨二ではないんだけど、レヴィ目(死んだ魚の目)で、むしろインスマウス面になってる時のリビングデッド状態は、ただただ鬱々と黒々と、自己否定の泥沼に足をとられ続けるしかない。
今年の初め、10年以上お世話になった心療内科の先生を亡くした。後任の先生のことはビタイチ信用していない。以前の先生と、二人して10年かけて吟味してきた処方箋に手を入れずに出してくれるのが後任医師しかいないから通ってるだけだ。
そして、前回書いたように、子供の頃からお世話になってきたホームドクターである内科の先生には、「困った躰だねぇ」とか言われている。アンドロメダで機械の躰をくれるシステムが存在しない以上、この躰で行き続けるしかない私に、「困った」って言われてもこっちが困るわ。躰のことで医者を頼れなかったらあとはなんだ、宗教か。ビーガンみたいな過剰ななにかか。生憎私はそういうものに己の思考を丸投げして安寧を得られるタイプではない。
だからこそ。常に死にたいとしか思ってなくて、前後左右何処へでも一歩足を踏み出せば闇落ちするのなんか簡単で、それでも生きなきゃ行けないからなんとか、本当になんとか日々を繋いでいる私にとって、ちょっとの向上心とかちょっとの自己肯定感とか、もの凄く大きな物なんだと本当に今回身に染みて判った。
だから、すぐには無理かも知れないし、前みたいに30日感続けたら人生変わるよ!(結局全然変わってないんだけど言い出した人に苦情を言いたい)みたいなんじゃなくて、出来るときにはまた録音していこうと思った次第。今の所凄く歌いたい歌がみんな宝塚の歌なので、あるものを探すのが大変なのだけど、楽しい大変ならよし。
という訳で、具合が悪くても悪いなりに、やっぱり歌っていないと私は駄目なようなので歌います!という宣言でした。
※マシュマロ始めてみました。コメントより気楽かなと思って。
匿名のメッセージを受け付けています!歌のリクエストとかあると泣いて喜びます。
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