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【長い目でみたら損?】おごりおごられ論争

たまにSNSやメディアで「おごりおごられ論争」がよく取り上げられています。

主には男女間の話ですが。

・誰が食事代を支払うべきか
・おごってもらうのは当たり前なのか
・おごられるのは申し訳ないことなのか

上記のような、さまざまな意見が飛び交い、議論が白熱しています。

若い頃は、当時勤めていた会社の先輩におごってもらったこともありますし、逆に後輩や友人にごちそうすることもありました。

結論から言えば、私は「おごられること自体は悪いことではない」と思っています。

しかし、相手によって「その意味合いや影響は大きく変わってくる」とも考え、その点にもやもやしちゃうところがあるんです。

おごられることの心地よさ、そして違和感

まず、おごられること自体は、基本的に嬉しいもの。

特に、普段からお世話になっている方や、尊敬している方に「今日はご馳走するよ」「おごるから」と言われると、素直に喜びを感じます。

美味しい料理やお酒を味わいながら、ビジネスの話・たわいもない話をすることは、ふだん家からあまり私にとっては素晴らしい体験のなにものでもありません。

※私はふだん家でリモートワークをしています、しかも陰キャ

しかし、私が長年の経験の中で感じたのは、おごってくれる相手のレベルによって「その心地よさが大きく異なる」ということです。

例えば、友人との食事。

お互いに経済状況は似通っており、今日は私がおごる、次は友人におごってもらう、といった具合に、ゆるやかな相互関係が成り立っています。

この場合、おごる側もおごられる側も、見返りを求めない、純粋な友情に基づいた行為であることじゃないでしょうか。

心からリラックスして、楽しい時間を共有できます。

ところが、相手が経営者や、各業界で成功を収めているような、自分よりも遥かにレベルの高い人物の場合、おごられることに対してどこか心に引っかかりを感じるのです。

なぜだ? おごられているのに心がざわざわするのは?

こんな感情の中で「おごりおごられの関係性」について、深く考えるようになりました。

違和感の理由:"お返し"をする手段が少ないから

結論が出ました。

それは、おごってくれた相手に、"お返し"をする手段が、自分にはあまりにも少ない、と感じてしまうから。

もちろん、感謝の言葉を伝えたり、後日お礼の品を贈ることはできます。

食事会が終わったあと、帰りの電車の中でお礼のLINE・DMを送ることも欠かしません。

とある経営者の方のご自宅に招かれた際、明らかに自分にしては背伸びをしたお酒を買って行くこともありました。

私は一人ではお酒を全く飲まないので、お酒について詳しくないんですよね。

でも、お誘いをいただいたこと自体がありがたいし、相手が喜んでもらえるよう、事前に相手の好みやお酒のことを調べる。

これは会社員時代の接待前に行うプロセスが身にしみているのかもしれません。(今はフリーランス)

しかし、相手が圧倒的な経済力や社会的地位を持っている場合、それらのお礼は、どうしても「形だけ」に感じられてしまいます。

いや、もちろん相手はそう思ってないかもしれませんよ、それでも「形だけ」って思ってしまうのです。

先日、実際にあったことですが、とある著名な方に、高級BBQにお誘いいただいたことがあります。

その時は、美味しい食事と楽しい会話に心から感激しました。

めちゃ緊張しましたけどね。

しかし、時間が経つにつれて、言いようのない不安、焦りが湧いてきました。

「私はこの人に、一体何をお返しできるのだろうか?」

という気持ちが、頭から離れなかったのです。

おごる側の意図と、その裏に潜むもの

次に考えたことは「おごってくれる私の周りの方は一体何を考えているんだろう」です。

もちろん、純粋に「今日は私がごちそうしたい」という気持ちでおごってくれる方もいるでしょう。

むしろ、その気持ちが大半だと思っています。(そう思いたい)

しかし、おごる行為には、さまざまな心理が隠されている場合もあるのではないでしょうか。

トップの方々は「自分が知らない情報を教えてくれる」「コイツ面白いな」と思うことで、まだ伸び代ある人間と付き合い、引き上げたいと思っていると、言われたことがあります。

また、ビジネスシーンでは、おごる行為が「貸し」を作ることにつながる場合もあります。

例えば、「今回は私がごちそうするから、次回はあなたの力を貸してくれ」といった具合に、打算的な意図が隠されていることもあるでしょう。

あー、でもむしろ私がやれることがあれば、精一杯対応したいと思うので、打算的な意図が隠されていた方が気持ち的に楽だわ!と今思いました苦笑

一番最悪なのは、憧れている方から関係を切られること。

すごいと思っている方との関係性を続けたいのに、おごられるばかりの関係性が続くと「こいつテイカー(くれくれ君)すぎるな」といつの間にか、相手に切られる気がするのです。

いくらすてきな方でも限度というものがあると思います。

その気持ちにあぐらをかくことだけは絶対にしてはいけない。

おごりおごられの理想的な関係とは

では、おごりおごられの関係は、どのようにあるべきなのだろうか…。

私は、友人同士のような、対等な関係であれば、おごりおごられは、健全なコミュニケーションの一環になり得ると考えています。

お互いに見返りを求めず「美味しいものを一緒に食べよう」「楽しい時間を共有しよう」という気持ちで、おごりおごられるのは、素晴らしいこと。

しかし、自分よりもはるかにレベルの高い人との間では、おごられるばかりの関係性は、避けるべきだというのが私の考えです。

なぜならその関係は、長期的に見て、必ずしも自分のためになるとは限らないから。

相手に「借り」を作り続けることで、精神的に依存してしまう可能性もありますし、自己成長の機会を奪ってしまう可能性もあるのかなと…。

理想の形:おごる側になる

では、どうすれば良いのでしょうか。

私の答えはシンプルです。

自分が成長して、今自分が尊敬している方、すごいと思っている方たちにおごるくらいになる

もちろん、すぐにそれが実現できるわけではありません。

しかし、目標を持って努力を続ければ、必ずその日はやってくると信じています。

おごられる側でいる限り、どこか後ろめたさや、心の引っかかりを感じてしまう。

しかし、おごる側(ごちそうできる側)になれば、精神的な豊かさにつながるのではないでしょうか。

そんな気がします。

最後に伝えたいこと

今回の「おごりおごられ論争」を通して、私が伝えたいことは、「おごられること自体は悪ではないが、安易に甘んじるべきではない」ということです。

おごられることばかりに慣れてしまうと、感謝の気持ちが薄れてしまったり、自立心を失ってしまったりする可能性があります。

私は、常に向上心を持ち、成長し続けることで、おごられる立場から、おごる立場へと変わっていく、そんな未来を描きました。

そのために、今日も私は、自分のやるべきことをやり続けるのみです。

#振り返りnote

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