南州神社(山形県酒田市)

今から30年ほど前、
山形県の酒田市(庄内)に
行きました。

戦後の日本を代表する写真家の一人。
土門拳の土門拳記念館に
行きました。

土門拳が撮った
仏像の写真の数々。
写真なんだけど
仏像が迫ってくる感覚を
今でも覚えています。

そして
NHKの朝ドラ“おしん”の
ロケーションの舞台になった
庄内のシンボル
“山居倉庫”
にも行きました。

昔の庄内の農家の女性の方達は
重い米俵を2俵(いや3俵だったかも?)
担いで過酷な農作業に
従事されてたそうです。
女の人のパワーは凄いなあ
と思いました。

そして
地元の年配の方々と会話
させていただきました。

その時、初めて
地元の庄内弁を耳にしました。

これがまた難解!
私は鹿児島出身なので
鹿児島弁はお手のもの。

純粋な鹿児島弁は
鹿児島県以外の方々に
とってはほ理解不能
と思ってましたが
庄内弁も
その域に達してる方言だと
思いました。

鹿児島弁を正確に
理解できるのは
鹿児島県人のみ
だと思います。

鹿児島弁は標準語とは
イントネーションが違う上に、
単語も違う。

例えば、
私が子供の頃
夕飯を残したとき
ばあちゃんから

◆あたらし こつ しやんな。

と怒られてました。

どういうことかと言いますと、

◆あたらしいことを
 してはいけませんよ。

ということ。

では

◆あたらし

とは鹿児島弁で
どういう意味かと言いますと

◆もったいない

という意味なんです。

高校の古文で聞いたことのある
◆あな あたらし(=ああ,もったいない)

◆あたらし
です。

他にも、
私が子供の頃は
女性が髪をとめる
黒いクリップは
◆びんばさん
と言われてました。

これは
◆鬢(びん)ばさみ
からきた
鹿児島弁です。

今でも
鹿児島で
そういった単語が
使われているのか
わかりませんが

鹿児島弁は
標準語を話される方々からしますと

◆それ、日本語?
 と思われるぐらいの方言
で、
◆日本国内の方言のうち
 最強の難解な方言

だと思ってましたが
違いました。

◆庄内弁 強し!

日本国内の方言大会があるとすれば、
◆庄内弁は鹿児島弁と双璧をなす
 理解困難な方言
だと勝手に思いました。

そんなことを
思いながら車で
庄内を旅行してましたら

◆南州神社
という神社が
あるのに気づきました。

◆南州神社って
 ひょっとして
 西郷さんを
 祀られてる神社?

と思ったんですが
その時は
スルーしてしまいました。

後になって
酒田市にある
◆南州神社
の事を調べたら
やっぱり
西郷さんを祀られてる神社
ということが
わかりました。

◆東北の庄内に
 なんで
 西郷さんの神社があるの?

と思って
さらに調べてみましたら
幕末から明治にかけて
庄内藩と薩摩藩に
強い結びつきが
あったからという
ことがわかりました。

西南戦争の時、
西郷さんが
明治政府に抗議をしに行く時、
鹿児島からはるか離れた
東北の庄内藩の方々が
鹿児島までやってこられて
西郷軍に加わられたそうです。

鹿児島から
1000km以上離れた
庄内の方々が
なぜ、そこまでして
西郷軍に加わられたのか?

それは
ひとえに
西郷さんの人徳によるもの
ではなかったか?
と思います。

しかしながら、
西郷軍は
田原坂で明治政府軍との死闘の後、
鹿児島の城山に退却。

城山で
西郷さん、桐野利明(中村半次郎)、
村田新八、戦死。
西郷軍降伏により
西南戦争は終結しました。

西郷軍に加わられた
庄内藩の多くの方々も
戦死されました。
明治10年。

その後
10数年経ち
西郷さんの言葉をまとめた
◆南州翁遺訓
という書物が
発刊されました。

そして
その書物。

まとめられたのは
鹿児島の方では
なかった。

旧庄内藩の方々が
まとめられたのだそうです。

薩摩と庄内。

遠く離れていても
時が経っても
人の思いは
生き続けるんだなあ、

と思いました。

#南州神社
#西南戦争
#南州翁遺訓
#酒田市




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