「脱・ダイバーシティ」で企業はこれからどうなるのか
トランプ当選以降、「脱・DEI(Diversity・Equity・Inclusion)の動きが加速している。
このニュースをFBポストでシェアしたところ、海外在住経験の長い友人からも色々な意見が集まってすごく興味深かったので一部紹介したい。
ということで、アファーマティブ・アクション(格差や不平等是正のためにあえて優遇する措置)への違和感はかねてより表明されてきており、既に長い年月が経っている。
マイケル・サンデルの『これからの正義の話をしよう』のオリジナル『Justice』が出版されたのは2008年だが(邦訳は2011年)、その中でも既にアファーマティブ・アクションへの問題意識が激しく議論されていた。自分も当時それを読んで「理念はわかるが、逆に不公平だなぁ」と違和感を感じたのを記憶している。
それから既に15年以上経ち、今回の脱DEIは、きっかけはトランプ当選かもしれないが、長年溜まっていた違和感が表面化したと言えるかもしれないし、また、DEIが世の中に浸透した結果、社会が次のステージに進んだとも捉えられるかもしれない。
アファーマティブ・アクションは基本的には「初速を付ける」ために必要なものだと思っている。
日本においても「女性管理職〇%」などの目標は能力主義とは乖離しているし、優秀な男性社員のモチベーションを下げる効果すらあるものだと思う。一方、岩盤のように分厚い日本の男性優位社会を変えるには、それくらいの措置をしないと社会は動かないと思うので、社会変革に必要な措置として自分は解釈している。ただし、どこかで役目を終える日が来るのだろう。
これから「理念としてのDEIは継続するが、施策としてアファーマティブ・アクションは行わない」という対応が広がっていくのではないだろうか。企業は成長を追求しなければならない存在であり、企業の競争力を保つうえで必要なのはmeritocracy (能力主義)である。能力によって人を評価処遇していくというのが第一路線であろう。
一方で、ヒトは物事をシンプルに理解したい生き物である。能力主義を優先した結果、「能力の無い人は価値が無い」という短絡的な認識になってしまうと、再びマイノリティへのリスペクトを欠く社会となってしまう可能性もある。ここに世の中のリーダーの良識が問われている。
「能力主義」は、理念ではなくただの事実だ。強いものが勝つ。それは誰かがわざわざ唱えるまでもない当たり前の社会のルールである。あたりまえのルールに従っていくと社会に不都合が生じる場合に、理念が必要となる。合理性は時に凶器となりうるからだ。あたりまえの合理性に身を委ねるのではなく、同時に人間として持つべきイデオロギーもあるのではないですか。そう説くのが理念だと私は思っており、そうしたイデオロギーをしっかり持てるかどうかがリーダーに求められる知性である。
企業において、DEIの理念が今後どのように進化していくのか。「アジアの多様性」をテーマに仕事をしている自分も、このトピックは今後も注目していきたい。