親子間のこころの距離の縮め方
天使のような赤ちゃんと両親の間には、何者も侵すことのできない無償の愛がというものがあります。赤ちゃん側には、親に対して全幅の信頼があって、すべてを委ねることで安寧の中を生きています。親の側にも、わが子に対する何物にも代えがたい愛があって、この子のためなら命を差し出してもいいと思えるほどまでにかけがえない存在なのです。まさしく相思相愛。お互いにとって相互不可欠な関係性がそこにはあります。
ところが、どんなに天真爛漫で純真無垢な赤ちゃんにも、社会との接点を持つほどに少しずつ自分の世界ができてきます。それこそが人の成長の証であり、自我の目覚めです。こうなると、あれほどまでに絶対的な拠り所であった親が、絶対的なものではなくなっていきます。親もはじめは戸惑うでしょうが、一抹の寂しさを我慢しながら、わが子の成長を喜ぶわけですね。
そして、子どもの精神的自立は、小学校中学年(3年生・4年生)くらいにもなるとさらに加速していきます。部活や塾や習い事で忙しくなり、親子で過ごす時間は一気に減っていきます。多くの人との交流が増えて、さまざまな情報が入ってくることで、自分なりの価値観が作られはじめます。
思春期を迎え、母親や父親以上に好意を寄せる相手が現れ、両親よりも何でも相談できる友人ができて、親子の会話はきわめて少なくなります。気にかけた親があれやこれやと質問を重ねてみても、子どもの受け答えは表層的で気持ちの乗っていないものになりがちです。むしろ親とは疎遠にすらなることもあるでしょう。
やがて、別の街の大学に通うようになり、別の街で仕事に就くようになり、恋人と暮らすようになり、結婚して、子どもが生まれて…。こんなふうに、親子の距離がどんどん離れていくのです。気づけば、年に一度か二度、お正月やお盆くらいしか顔を合わせないのもふつうになっていきます。
そんな関係が当たり前になって長い時間が流れていったある日、歳を重ねた親の側に、子どもの応援を求めざるを得ない状況が訪れます。仕事中の子どもの携帯電話が鳴って、「お父さんが倒れた」とか、「お母さんの様子がおかしい」とか…。
この瞬間、自分の家庭や仕事のことでいっぱいいっぱいで、ほぼ親の老後のことなど考えてもいなかった子どもの側に、青天の霹靂的に、突如として老親のことが飛び込んでくるわけです。親側としてはやむないことではありますが、超多忙な子どもにとっては負担を感ぜざるを得ない。それが正直なところでしょう。
長い年月をかけて離れていった親子のこころの距離。そして、物理的な距離。これを埋めることなしに、なんの予告もなく、突然まさかがやってくると、人は混乱するものです。だからこそ、早い段階から、離れてしまった親子の距離を縮める作業が必要なのです。それを今日から実践してみてはどうでしょうか。
次回は、親子間のこころの距離の縮め方について書いてみます。