【デキる上司の十訓十戒013】強制しない ~業務命令は最後の切り札~

今回の結論。それは、「最強の説得術とは、説得しないことである」です。

そもそも私たちは、他者から命令されたり強制されたり説得されたりすることを好みません。繰り返し説得を試みようとアプローチしてくる相手は憎悪の対象となります。つまり、上司が部下を説得しようとすればするほどに、部下の心は上司から離れていくわけです。こうなってしまうと、仕事はやりづらい。あなたを快く思っていない部下から出てくるアウトプットは不安です。品質に確証が持てません。

興味深い話があります。実は、どの業界でもトップセールスというのは、製品やサービスの特徴を前面に押し出した営業活動をしないものです。生命保険であれば、「なぜこの時期に、新規加入を検討される必要がおありだと思われますか?」とやるし、クルマであれば、「数ある車種の中から、なぜ私どものレクサスをご検討いただくことになったのですか?」とやるわけです。

そして、「?」の魔力で何かしらの答えを顧客が導き出したら、嵩にかかってそこを攻めこみます。これとまったく同じことをすればいいだけの話です。部下をこちらに向かせるために、四の五のメリットなんぞ伝える必要はさらさらありません。

このことからわかるように、説得しようとすればするほど部下の心は離れていきます。事あるごとに上から目線で説得したり、挙句の果ては命令したり。そんな上司はまちがいなく嫌われます。

あなただって、仕事人生を振り返ってみて、好きな先輩から仕事を託されたときと、嫌いな先輩から仕事を託されたときを比較してみてどうでしょうか? その仕事への取り組み方はまったく同じだったでしょうか? 

私の場合はちがいました。尊敬したり憧れたりしている上司・先輩から指示されたことに対しては、その内容が何であれ、必死で良い結果を出そうとしました。その動機は何かと言えば、例えどんなに些細な案件であっても、好きな先輩から認めてもらいたいと願ったからです。

「えっ? もうできたの? 早いじゃん」、「ほおう。なかなか丁寧に仕上げるねぇ」、「サンキュ! 助かったよ」…。なんでもいいのです。好きな上司や先輩から自分の存在を認めて欲しい。褒めて欲しい。そして、また仕事を振られたいのです。そんな欲求が仕事への前向きな気持ちを駆り立ててくれるのだと思います。そして多くの場合、何かにつけ自説を展開し説得にかかる上司や先輩は嫌われるものなのです。

それでは、部下から嫌われずに自分の意図する方向に持っていくためにはどうするか。答えは簡単です。もっとも効果的な説得は、説得しないことです。ここでもまた質問を用います。質問することで、部下自身に考えさせ自発的に納得させるのです。

いくら必死に説得しても、それが正論であればあるほど、部下側には「言い負かされ感」が残るものです。反論の余地がないということは、人間だれしも何かいや~な気分になってしまうもの。このネガティブな感情が、それ以降の人間関係に微妙な影響をもたらしてしまうわけです。

でも、うまい質問で部下に考えさせ、そこから部下が納得に至ったとしたら、そこには「上司からの押しつけられ感」が残りません。質問されてみずから考え自己選択したということに、部下は満足するわけです。

【人は何で動くのか ~METROの法則~】

「人は利益と恐怖で動く」と言ったのはナポレオンでした。私はあえて、「感動」と「尊敬」と「状況」の3つを加えたいと思います。

上司は組織の目標を掲げ、その実現に向けて部下をまとめ、その能力と情熱を最大限に発揮させながら、ともにゴールを切らねばなりません。その過程でもっとも気を配らねばならないのが、部下ひとりひとりの気持ちです。人間は感情の動物であり、弱い生き物です。吉田松陰が言ったように「志定まれば気盛んなり」だし、三島由紀夫が言ったように「目標実現に向かっている過程にしか幸せはない」。だから明確なる目標を具体的に示してやることで、とりあえず前に進ませることはできるはずです。

ですが、仕事も人生も、思い通りにいかないことがほとんどです。多くの人は、些細な壁にぶち当たっただけで、あっけなく気持ちが切れてしまったりするから厄介です。何かの事情で当初の前向きな気持ちが萎え、ネガティブな状況に落ち込んでしまった部下たちをどう奮い立たせ、再び立ち上がらせるのか。ここが上司の腕の見せ所です。

人は何で動くのか? よく言われるのは、人は論理的納得と情緒的納得の両面で腰を上げるということです。どちらか一方だけではダメなのです。しかし、これには大前提があります。それは、本人が置かれたTPOと、上司との日常的な人間関係のふたつです。

まずは、本人がいま話を聞ける態勢にあるかどうか。これが基本中の基本です。本人の意識がここにない状況下で、誰が何を諭しても無駄なのです。 

つぎに、本人の聴く態勢が整っていたとしても、ふだんから好感の持てない上司の話というのは、やはり斜に構えてしまうものなのですよねぇ。だからこそ、上に立つ者は下から好かれておきたいもの。尊敬できたり、憧れていたりする上司の話であれば、素直に耳を傾けられるものなのです。あるアーティストを崇拝しているファンにとっては、楽曲の良し悪しなどそもそも関係ありません。そのアーティストの曲であれば、全部すばらしく思えてしまうものなのです。テレビのインタビュー番組に出演していれば、その話が何を言いたいのか要領を得なかったとしても、ファンのほうからアーティストに歩み寄って、その真意や意図を理解しようと必死になってくれるのです。ところが、そのアーティストに関心のない人にしてみれば言わずもがなでしょう? 

上司と部下の関係もまったく同じで、なんとなく波長が合わないなぁ~と思っている上司の話には構えてしまうもの。ましてや説得なんぞされでもしたら、話の内容いかんにかかわらず、上司の意図する方向に動かせる確率は低いものと知るべきです。だからこそ、上司は部下から好かれないと、仕事がやりにくくて仕方ないということになります。

ということで、上司が目標実現の道筋からちょっとはずれかけている部下に話をしようと思ったら、前提として、「いま、部下は話を聞ける態勢にあるかどうか」を確認することと、「ふだんの心理的距離が近いかどうか」がカギとなってくるわけです。このふたつがクリアされたとき、はじめて論理的納得と情緒的納得が効いてくるのです。

論理的納得とは、早い話が、そうすることのメリットです。なぜ上司の言うとおりに行動する意味があるのか。ここをキッチリと理解させるということです。情緒的納得とは、「何だかわからないけど、上司の言うとおりに行動したくなる」ということ。多くの場合、感動的なストーリーとか、脅し(もし上司の言うとおりにしなかったら、不利益を被るかもしれないと感覚的に思わせること)とかが情緒的納得には効果を発揮します。泣ける話みたいな感動的な逸話を聴くと、人はみな、自分をその主人公にダブらせて話を聞くものだし、自分もその感動的な体験をしてみたいと思うわけです。だから上に立つ者は、いろいろな逸話を持っておきたいところです。

そしてそれを、ここぞというときに、諭したい部下の瞳を見ながら話すのではなく、窓の外とか、斜め45度くらいに目線を置いて、ちょっと遠くを見るような表情で独白する。まちがっても、相手と目を合せないでください。それをやってしまうと、部下はプレッシャーを感じ、説教されているのと区別がつかなくなります。上司の言うことを承諾しないとマズいのではないかと敏感になってしまうのです。

こうなると、部下が自分の意思で選択したとは言えなくなってしまいます。多かれ少なかれ、強迫観念に似た心理状態に陥ってしまいかねません。とにもかくにも、自己選択したのだという形を残さないと、その後の効果が頭打ちになってしまうので要注意です。

同じように、もし上司の期待する方向から外れた行動を取ってしまったとしたら、どのような支障が出るのか。それを考えさせることです。人の心理というのは、本能的に苦痛から逃れる行動を取るように設計されているものです。この人間の本質を衝くことで、部下があらぬ方向に舵を取らぬようコントロールできる上司でありたいものです。

わかりやすい例として、禁煙したいという意思がありながら、なかなか禁煙できずに時間だけが経過している患者の話をしましょう。ある医者は、「いまのアナタには、少しずつ喫煙本数を減らしていくとともに、食事や運動など規則正しいライフスタイルにシフトさせていくことが重要だ」と所見を述べたとします。別の医者は、検査結果を眺めながら、クールに「即刻タバコをやめないと一年後の命は保証できない」と言い放ったとします。それぞれ、その後の患者の行動を推理してみてください。心理学的にも、説得における「脅し」の効果が実証されています。振り込め詐欺はここを巧みにつくことで、顔さえ知らない相手と数分会話しただけで、数時間後には云百万円もの大金をせしめているわけです。

繰り返しておきます。上司が部下を意図する方向に誘うために必要なこと。それは、「論理的納得(メリット)」「情緒的納得(感動&脅威:エモーションとスレット)」「日常的な人間関係(リレーション)」「相手の置かれている状況(オケーション)」の4つです。頭文字をとるとMETRO。地下鉄です。覚えておいてください。ただし、影響(効果)の大きさはO⇒R⇒T⇒E⇒Mなのでおまちがいなく。

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