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【百寿コンシェルジュ・神崎眞のエピソードファイル】父返る(6)

神崎から、認知症の父親を母親から少し離して療養させてみるという選択肢もある」と言われて、響介は怪訝に思った。そもそも、母親は自分の手で父親の介護をしたいと考えているはずだ。にもかかわらず、あえて東京から離れた介護施設に父親を入所させるというのは、一体どうなのだろうか・・・。

「いいえ。引き離せと言っているわけではありません。例えば、月一度程度の面会にして、お母さま本来の生活リズムを取り戻してもらうために、適切な距離感を確保するという意味なのですが…」

神崎の思いがけない提案を聴きながら、響介は、次第にそれも一理あるような気がしてきた。学生時代からの親友たちと、芝居に行ったり、旅行したり、会食や買物に出かけたり。社交的な母に、かつてのように社交的な毎日を取り戻させてやりたい。ここしばらくは忘れていたが、母自身のシニアライフをエンジョイさせてやりたい…。

神崎の話を聞きながら、神崎は冷静な第三者であるからこそ、両親の全体最適を考えて提案してくれているのにちがいない。しかも、神崎はこの道のプロである。検討してみる価値はあるように思えてならないのだ。

「お気を悪くなさらないでくださいね」

反射的に響介は口を開く。

「いや、面白い発想だなと…。面白いと言っては失礼ですが、私の思考の中から、母の日々の生活のことが抜け落ちていたように思いまして。母を父から離そうと言いながら、やはり、母がいつも父のそばにいることを大前提に物事を考えていたということに気づいたんです」

神崎がいつものように包み込むようなバリトンを奏でてくる。

「私がお話したことは、あくまでも私の仮説、と言いますか、ご両親についていろいろなお話を伺いながら、心に浮かんできた気持ちを素直にお伝えしただけなんです。最終的なご判断は、お母さまとおふたりで決めてください。あと…」
「あと?」
「ご親戚やご近所の声というのは…、考慮しなくていいと思いますよ、経験から」
「はい。それはもう、私も同感ですから」
「よかったです。とりあえず私のほうでは、首都圏に加えて、相模湾沿いも含めて、医療機関が運営している物件で、月額15万円程度のものを3つ4つ、探してご連絡するようにします」
「それは助かります」
「お母さまとよくお話してみてください。くれぐれも、お母さま自身のこれからの人生にも配慮して差しあげてください」
「わかりました」

帰り道、響介は神崎の提案を振り返りながら、一度じっくりと母の気持ちも聴いてみないといけないな…、そう強く決心するのだった。

意外にも、母の選択は神崎の提案どおりであった。響介は正直びっくりした。九割方、父の近くに居ることを望むとばかり想像していたからだ。にもかかわらず、母は言った。

「そうよねぇ。お父さん、もうお母さんのこともわからないしねぇ。月に一回くらい、響ちゃんとピクニックがてら様子を見に行けたら、それでいいのかもしれないわねぇ。お父さんのお世話は、やっぱりプロの人たちに任せたほうがね。そのほうがお父さんも気が楽なんじゃないかって思ったりもしてきたのよねぇ」
「そうか。僕としては、おふくろがしたいようにするのがいちばんいいと思ってるから。もう十分、親父にはすることしてあげたんじゃないかな」
「それはどうかわからないけど、ここにはいつもお父さん、いるから…」

そう言うと、母は自分の胸にそっと手のひらを当てながら響介に笑ってみせた。

響介はその旨を電話で神崎に告げた。

「お母さまは、響介さんに全幅の信頼を置いているんだと思いますよ。だから、心の奥深くにあった本当の気持ちをお伝えになられたのだと、私にはそう思えるんです」

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