心に響いた上司の言の葉

関西支社への転勤を控えたある商社マン、倉持さんのエピソードです。新入社員時代からお世話になっている本部長に挨拶に行った時の話です。「おう。来たか、倉持」と出迎えてくれた後、本部長が言いました。

「そういやこの前、お前さんが担当しているA百貨店のB部長から電話があってさ。倉持さんが担当してくれるようになって、うちの社員が変わったって言ってたぜ。倉持さんなら、うちの古い体質を変えてくれるんじゃないかって期待してたって。だから、改革途中のこの時期に、営業マンを代えられたら困るってさ。いや、オレもこの世界ながいけどさ。営業マンを転勤させるな……なんて直訴されたのは初めてだよな。フフッ。倉持、いつのまにかお前さんも一丁前だな。がんばれよ」。

そんな言葉と一緒に肩をポーンと叩かれた倉持さんは、全身の血が湧き立ち身震いするような感覚を覚えました。入社以来の、本部長とのさまざまなシーンが走馬灯のように浮かんできて目頭が熱くなりました。そして、新天地での活躍を心に誓ったといいます。

ちょっと話が逸れますが、私の知り合いに、とっても美しくて素敵な料理研究家の女性がいます。あるパーティで、彼女は見事な着物を召されて登場しました。華やかでありながら深みがある。清楚でありながら艶がある。そんな美しいピンクでした。素人の気安さから、私は無遠慮に訊いてみました。

「もしかして、この色は、本物の桜の花びらからとったのではないですか?」

すると。

「あ~ら、鋭いこと。でも残念。ハズレよ。惜しいですけどね。実はこのピンク、花びらではなくて、桜の木の樹皮を濾したものなんですよ」と満開の笑顔。そして、こんな話を聴かせてくれました。以下は、彼女に教えていただいた、嵐山に住む有名な染色家の先生のお話です。

人間国宝にもなっているその先生は、桜が開花する数週間前のここぞというタイミングで山の奥深くへ入るのだそうです。そして、厳選した山桜の木の樹皮を削って持ち帰り、三日三晩じっくりと濾す。そうすることで、得も言われぬような絶品のピンクが醸し出されてくる……。そう聞いて、私は地下鉄が一瞬地上に出た時のような感覚に揺り動かされました。

毎年、桜の花を愛でながら酒を酌み交わす日本人ですが、私たちを陶酔させるあのピンクは、実は花びらのピンクではないのです。あれは桜の木が、桜の木の根っこ、幹、枝、そして樹皮……、桜の木全体で最上のピンクを出そうという全身全霊の生命活動の結果だったのです。そのほんの一端が、枝の先の花びらとなって表現されているにすぎないということ。私たちはそれに酔っていたわけです。

そう考えてみると、私たちがふだん無意識に使っている言葉というものの本質が見えてくるような気がします。ある人があるとき発した言葉が相手を感動させたとします。でも、それと同じ言葉を別の誰かが別の場面で使ったからといって、必ずしも相手を感動させることができるとは限りません。それは、人は私たちが発した言葉そのものに動かされるのではなく、その言葉に含まれた精神的なものに突き動かされるからではないでしょうか。

営業マンを感激させた、あの「お前さんも一丁前だな」という本部長の言葉。あのひと言には、それを発した本部長の生きざまのようなものが詰まっているのだと思います。倉持さんを、時に励まし、時に叱咤し、時に一緒に考え、時に一緒に壁を乗り越えていく…。そんな仕事観や人生観、人材育成哲学や部下への想いがあってこそ、その人が吐く言葉に意味が宿るのだと思います。その精神的な意味合いが人の心に響くのにちがいありません。

桜の花びらのピンクのうしろには、太くて大きな幹の存在があるのです。同じように、私たちの言葉は、それを発した人の人生や人格のすべてを背負っています。人の上に立つ人は、こうした言葉というものの本質的な意味を認識したうえで、みずから口にする一言一句を吟味したいものです。いや、自分の発するひと言が相手にどのような心情をもたらすのか。そこから逆算して話すといったほうがいいかもしれません。

上司のなにげない言動を、部下はアンテナをビンビンに研ぎ澄まして感知しているものです。それは評価される側としては当然のことでしょう。些細なクセや言葉尻。ちょっとした表情の変化にも部下は意識を払っています。そこには何かしら、上司の意図があるのではないか・・・。上司はいつもそんな目で見られているのです。

部下の信頼を得ようとするならば、それは一朝一夕にできるはずもなく、上に立つ者に確固たる基盤がないとダメでしょう。その基盤というのが、仕事に対する価値観や哲学。部下を良い方向へ導いてやろうという想いだと思うのです。何があってもブレない基本軸のようなものです。たまたま部下より早く生まれたとか、たまたま部下より勤続年数が長いとか、たまたま部下より偏差値の高い大学を出たとか。上司とは、そんな付け焼刃で務まるようなものではありません。上司には上司であるための資格がいるということです。

桜の花びらに詰まった桜の木全体の想い。背負っているものの大きさや重さが見るものを酔わせてくれるのです。上司の発するひと言ひと言に込められた、仕事や部下に対する想い。それが顧客や部下の琴線に触れるのです。そんなひとひらひとひらに込められた心を汲み取れるような上司でありたい。ひと言ひと言に心を乗せて語れるような上司でありたい。そして、部下のひと言ひと言に込められた心を受けとめられる上司でありたい…。つくづくそう思うのであります。

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