百寿論 ~100歳までハッピーに生きる方法~
今回から、『百寿論 ~100歳までハッピーに生きる方法~』と題して、生命あるものの究極の目標かもしれない「しあわせ」……について考えてみようと思います。
何とも言えず、暗い世の中です。ウィズコロナのせいもあるでしょうが、それよりずっと前から経済は停滞しています。ごくごく一部の人を除けば、ニッポンの一般大衆は決して豊かとはいえない日々を過ごしています。それをいいことに、霞ヶ関と永田町は真剣にこの国全体をよくしようとは考えていない。そうとしか思えません。かと言って、国民の側も平和ボケしているのか諦めてしまったのか、真剣に政治を変えようともしていない。
何とも不可思議な状況が続いていますが、でも確実に万策尽きて苦しんでいる人が大勢います。国家に期待できない以上、こんな時代を生きる私たちにできることは限られてきます。せめて自分自身と、ごくごく近しい人たちで、何とかやりくりしながら、それなりのレベルで幸せな人生を全うすることくらいです。
ご存知ですか?
幸せのハヒフヘホ…。
半分でいい。人並みでいい。普通でいい。平凡でいい。ほどほどでいい。
何ともスカッとしないこの国で、何とか100歳くらいまで、ハヒフヘホレベルでハッピーに生きていくために、知っておいたほうがいいと思うことについて、20余年を通じて多くの相談者たちの人生の問題を解決してきた社会福祉士・山崎宏が想うことを紹介していきます。
四大新聞や地上波テレビでは報じられることのない㊙ネタの他、霞ヶ関や永田町の水面下情報も、忖度抜きで書いていくつもりです。
私たちがこの世にいる間に、ニッポンが劇的に生きやすい国になることはなさそうです。なので、これからお話しする諸々の情報を取捨選択しながら、ご自身と大切な人たちのリスクヘッジに役立ててほしいと願っています。
人生というヤツは、長いようでいて、とても短いものだと思います。Time is money(タイム・イズ・マネー)です。毎日をただ漫然と流してしまって、いざ気づいたら、タイム・イズ・モウネェ~ってなことにならぬよう、お互い気をつけていきましょう。
さて、幸せって、一体なんなのでしょう。
ひと言で幸せといってもいろいろでしょうが、ほとんどの人にとって、幸せには大きく四つの基準があるように感じます。簡単に言えば、愛や夢を食べては生きていけないし、おカネだけあってもこころは満たされない……みたいなことです。
これから、私たちが100歳くらいまで、ハヒフヘホレベル(幸せのハヒフヘホ:先述参照)でハッピーに生きていくために知っておくべきことを、4つの視点で書いていきます。つまり、身体的幸福、精神的幸福、社会的幸福、経済的幸福の4つです。
身体的幸福とは、心身の健康のことです。自立歩行ができないとか、寝たきりとか、認知症になってしまったりとか、感染症でアッという間に逝ってしまったり……。そういったリスクを減らしながら、人生を謳歌できるようこころとカラダと生命をそこそこ健全に100歳くらいまで維持させる。そんなイメージでしょうか。これを身体的幸福と呼ぶことにします。
精神的幸福とは、年齢とは関係なく、自分自身の人生を主体的に前向きに生きていくために、自身の存在価値や生きる意味や目的を常に意識し行動できる……。そんな生きざまであり、死にざまです。これを精神的幸福と定義します。何のために生きているのか。だれのために生きているのか。そこが曖昧なままに、ただ毎日食べて飲んで寝て起きて……の繰り返しでは精神的充足は得られないと思うのです。
社会的幸福とは、どんな環境や人間関係のもとで人生を生きていくかということです。家族や親族といった血縁関係が円満であったり、気の置けない仲間の存在であったり、現役をリタイアしても何かしら活躍の場を確保できていたり……。
もちろん、天涯孤独や孤立しているからダメだということではありません。人里離れた山奥でただひとり隠居生活を送るのが好きだという人もいますからね。要は、自身のまわりの世界との関係性について、明確なポジショニングができていること。これが社会的幸福です。
経済的幸福とは、ご自分がそこそこ楽しい人生だと思えるような暮らしを成立させてくれるだけのおカネがあるということです。年金だけでも充実した毎日を過ごせるという人もいるでしょうし、年金だけでは足りないという人もいるはずです。資本主義の国で一定レベルの暮らしをしようと思ったら、どうしてもおカネの話を抜きにすることはできません。要は、自分が望む生き方と予算のバランス。これが経済的幸福です。
ということで、次の記事からは、まずは身体的幸福を手にするための方法から始めていくことにしましょう。
(続く)
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