【百寿コンシェルジュ・神崎眞のエピソードファイル】父返る(4)
はじめて向き合う神崎は、ごく普通のビジネスパーソンといった感じ。ホームページに掲載された写真とほぼ同じ。やや恰幅のいい、企業の管理職っぽいビジュアルだった。唯一、通常の会社員とは違うとすれば、背広の胸ポケットのチーフ。その日も神崎は、茶系のブレザーの下につけた黄色いシャツとほぼ同じ色のポケットチーフを差し込んでいた。
「わざわざお越しいただきまして」
相談に乗ってもらうのは響介のほうなのだから出向いていくのが当然なのだが、神崎はニコニコしながら名刺を取り出した。
「その節には大変ありがとうございました。またちょっと困ったことがありまして…。神崎さんには、一度、詳細を聴いていただいた上でお力添えいただくのがいいのかなと思いまして」
「そうでしたか。それはありがとうございます。今度はお父さまですか?」
何と表現したらいいのか、うまい言葉が見つからないのだが、神崎を前にして、妙な話しやすさを響介は感じていた。30分くらいだろうか。父のプロフィールと生活習慣に病歴、認知症を発症してからのいきさつ、それに影響を受けてしまった母のこと、いま考えていることを一気に話し倒した響介だった。
「そうですか…。そういうことでしたか。大変でしたでしょうねぇ。まあ、どうぞ」
話の途中で用意された紅茶をすすめながら神崎が口を開く。
「それなりに認知症のケースに接してきたのですが…。私としては、あの病気は介護する家族の側に伝染すると考えているんですよね。お医者さんたちはなかなか認めませんけれど。介護保険のサービスを使わずに、ご自宅でふたりっきりの介護をされていたご家族が、何年かして同じように症状が出てしまう。そんなケースをいくつも見てきました。
科学的な根拠がないと言ってしまえばそうかもしれません。でも、経験則で言えば、認知症は同居家族にうつると思っています。ですから、お母さまが介護生活のなかで倒れられて救急車で運ばれたというのは、目に見えない何かの力が働いたような気がするんですよね。要は非常ベルが鳴ったのだと思います。しかし、それからまた半年くらいですか? お母さまは、再びいばらの道を選択された…」
「ええ。母も古風なほうなので、少なからず、親類とかご近所の目を気にしたと思います。もちろん、父に対する愛情もあるのでしょうが」
神崎が大きく頷きながら、ひとつ息を吐く。数秒、軽く目を閉じて、そしてゆっくりと。
「そんなお母さまが、いよいよ、助けてくれとおっしゃった」
「はい」
再びの沈黙。眉間にしわを寄せていた神崎が、響介の目を真剣なまなざしで見つめていった。
「急ぎましょう。ご両親を共倒れさせてはいけません」
響介は、やはり相談に来てよかったと思っていた。自分の考えに共感し、同じ方向性を即座に言葉にしてくれたのが理由である。医者にしろケアマネにしろ、なかなかそんなふうにはならないものだ。当たり前のことではあるのだろうが、あれやこれや質問だの理屈などが多くて、かつ慎重なものだから、患者側からするとかなりのイライラ感が募ってしまうのだ。
そんなこと以前に、家族としてはつらい思いをわかってほしい、まずは「なんとかしましょう」と安堵させてほしいのだ。その点を神崎は熟知しているような対応だった。仕事を抱えながら両親のことでパニック状態にあった響介には、神崎の対応に救われる思いだったのだ。響介は具体的な話に進むことにした。
「早々に、父をどこかに入れようと思うのですが…、そんなときにこれを拝見したんです」
神崎が載っている週刊誌の特集記事を鞄から取り出してテーブルに置く。
「ああ、これですか」
神崎はそれを手に取ってパラパラとめくりながら言った。
「ここ数年、いわゆる終のすみかについての相談、というか、クレーム相談が非常に増えて増してね。要は、こんなはずじゃなかった。どうにかできないものか。その手の案件が後を絶たないんです」
「よくニュースや新聞で取り上げてますよねぇ」
「ええ。しかし、ああいった利用者の命に係わるような不祥事だけでなく、もっと日常的な不満を大勢の方が抱えながら、まぁ、がまんしながら生活しているというのが実際のところなんですよねぇ」
「特集記事で読んで驚きました。それだけに、認知症の父をどうすればいいのか。プロに相談するのがいちばんいいだろうと思ったのです」
「ありがとうございます。でも、プロかどうかはわかりません。私たちは、ただ、入る側のみなさんのご要望をていねいにお聴きして、極力それに対応してくれる物件を探して、現地責任者の言質を取る。その上で契約に立ち会わせていただく。それをひたすら繰り返しているだけですからね。
でも、多くのみなさんは、そんな悠長なことをしていられないのでしょうね。お子さんたちが忙しい合間を縫って、あれこれ準備して、あちこち見て回ってというのは、やはりむずかしいかもしれないですね。物件側は物件側で、入居者確保に躍起になってセールスしてきますから…」
「はい。私としても、特別豪華なところなど考えてもいませんが、少しでもリスクの低いところを探し出したい。でも、その術がわからない。至るところにあるじゃないですか。もう、どこもかしこもおんなじように思えちゃいましてね」
神崎は小さく頷きながら、紅茶をひとくちすすった。
「お父さまを入れる物件ですが、経済的条件と地理的条件をまず教えていただけますか? そのうえで、お父さまがそこで生活する上で、どうしても叶えて差しあげたい要望事項があれば、そこもお願いします」
神崎の醸し出すおおらかなムードには、相談する側をガシッと受けとめてくれるような安心感があった。響介は、昨夜、特集記事を読みながら考え抜いたメモ書きを取り出した。