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【百寿コンシェルジュ・神崎眞のエピソードファイル】認知症介護の迷宮(5)

入院当日、約束の時間30分前に着くと、神崎が笑顔で3人を待っていた。

「おはようございます。晴れて良かったですね」

続けて義母にも声をかける。

「お母さん、また会いましたね。こんにちは。今日は息子さんもご一緒でうれしいですねぇ」
「はい。和彦が仕事を休んでくれましてえ。でも私ぃ、病院はイヤなんですぅ」

義母がいつものように駄々をこねる。

「でも、今日は、主治医の先生が直々にお母さんとちょっとお話したいって言うのでしょう? お医者さんの言うことは、ちゃんと聞いておいたほうがいいと思いますよ」

総合受付で名前を伝えると、なんと主治医が自ら出迎えにきてくれた。面談室に導きながら、和彦と言葉を交わし、入院希望の意思を確認したようだ。

面談室に入ると、何枚かの書類を渡され、和彦がそれにサインした。

「それでは田中さん、ちょっと血圧と脈拍を計っておきましょうね」

主治医はそう言うと同席していた看護師を促し、義母を診察室へと誘った。手際よく義母を寝かせ、当然のような素振りで「ちょっとだけ、チクッとしますよ」と言うや義母の左腕に注射をした。そのまま義母は意識を失い、寝台車に乗ったまま入院病棟に運ばれていった。

病棟の面談室で、これまた流れるように入院中および面会時の必要事項を聞かされ、あっという間に、義母の入院という一大イベントが終わったのだった。最寄り駅まで歩く途中、悠子と和彦は、神崎を昼食に誘った。これまでのお礼もしたかったし、今後の相談もしたかったのだ。

食後のコーヒーをすすりながら、神崎が言った。

「どうですか? あっけなかったんじゃないですか?」

自分の気持ちをズバリ言い当てられた気がした。それは和彦も同じだったようだ。

「ですねぇ。こんなにあっけないとは…。まだ信じられません。第一、おふくろが思いっきり抵抗するんじゃないかと思ってましたからね」
「私もです。おかあさんが駄々をこねたら、入院させるんだっていう自分の意思が揺らいでしまうんじゃないかって、昨夜は心配で眠れませんでした」

神崎がコーヒーカップを置いた。

「そうですよね…」
「本当にありがとうございました」

頭を下げるふたりを片方の手のひらで制するような仕草をしながら神崎が語り始めた。

「お母さまご本人も、なりたくってあんなふうになったわけじゃない。おふたりだって、できれば近くにいてあげたいのにそうはできない事情がある。だからと言って、なにをどうしたらいいのか見当がつかない。そんな袋小路のなかで、状況はどんどん悪化していく。で、気づくと、ここまで大変な思いをしながら接しているのに、それをわかってくれないお母さまに対して、どうしたってネガティブな感情が芽生えはじめる。そして、少し落ち着いて考えてみると、義理の母親に対してそんな感情を抱く自分自身を酷い人間だと責めるようになる・・・。

これは、実際に家族介護をやったことのある人じゃないとわからない葛藤だと思います。そうして、運が悪いと、新聞沙汰になるような凄惨な顛末を迎えてしまう場合も出てくるわけですよね。でも、何かのきっかけで然るべき相談経路さえ見つけてしまえば、それはもう簡単な話なのです。極端な言い方をすると、昨日まで悩んでいたのが嘘みたい。ほんの短い時間で問題が解決してしまう。解決までいかなかったとしても、その道筋が見つかったり、心身の負担が一気に減ったり、いろいろなことが、プラスのほうへ流れが変わっていくものなんですね。

みなさん、一様におっしゃいます。あまりにあっけなくって気が抜けたみたいだって。でもね、本当に紙一重なんです。うまく方向転換できるか、できないままに老老地獄のようなことになってしまうかの差は。てすから、奥さんからいただいた一本の電話。あれがあって本当に良かったと、心から思っています」

悠子は、はじめて神崎と電話で話した日から今日までのことに思いを巡らしていた。和彦もまた、半信半疑で神崎を訪ねた日のことや、神崎から電話で報告を受けたときのことを思い出していた。

「やはり、自分の親に不可解な言動が見えたとき、誰しもすぐには認めたくないのだと思います。だから、しばらく様子を見ようとなる。そして、やっぱり何かがおかしいと認識したとしても、周囲を気にしてしまうのでしょうね。ある程度、自分たちで耐えて堪えて、どうにもこうにもならなくなるまでは、どうしてもSOSを発信できない人がとても多いんです。

でも、いざSOSを出すにも、然るべき受信者が見つからないと、また悶々とした時間を過ごすことになる。本当のところ、最初のSOSの時点で限界状況であることが多いんです。だから、せっかくSOSを発しても、しっかりと受信してくれる人が見当たらないことがわかると、そこでガックリときちゃうんですよね。そうなると、そのあとの対応はところどころ雑になってきてしまう。もう張りつめていたものが切れてしまっていますからね。そんなふうになってしまうと、もうすぐそこに、残念な事態が待っている。そんな気がしてならないんです」

和彦が言葉を選ぶように重い口を開く。

「私も正直に言うと、自分を生んで育ててくれた母を、いくら認知症になったからといって、すぐに病院だの施設だのに入れてしまうということにはためらいがありました。自分さえもっと頼りになる存在であったなら、おふくろも妻も子どもたちも、大きな懐で包み込んでやれるだろうにと。でも、実際には、自分の仕事のことだけで手一杯で何もしてやれない。そんなもどかしさにかまけて、結局は妻を見殺しにするところだったと反省しています」
「ご主人はすごい方だと思います。自分のことをきちんと振りかえられて、できていなかったところをちゃんと言葉にして奥様に詫びることができる男らしい方なんですよね。なかなかいらっしゃいません、そういう男性は」

和彦が思い出したように顔を上げ、続けて悠子のほうをチラッと見やって頭を掻く仕草をした。悠子が、窓から差し込む日差しを眩しそうに避けながら微笑んだ。

「理想のご夫婦です。私にはそう思えます」

3人がほぼ同時にコーヒーカップに手をやった。やや冷めてしまったコーヒーをちょっとだけすすり、3人の間でアイコンタクトが交わされた。

その後の話で、神崎は言った。もしも経済的な事情で、義母の退院後の行き場所に懸念があるのであれば、やりようはあると。まずは入院期間を最大まで延ばしてもらい、その上で、病院からの紹介で老人保健施設という、病院から自宅へ戻るまでの中間施設に転院するというプランだった。

老人保健施設は、本来的には自宅復帰までの準備をするための施設なのだそうだ。しかし実際には、半数近くの人たちがそのまま最期を迎える終のすみかになっているのだという。集合部屋が基本になるものの、医者と看護師も常駐しているし、何といっても値段が安い。世帯状況を詳しく聴いた上で、神崎は付け加えた。

「お母さまが和彦さんたちの扶養家族になっているのであれば、まずそれを外します。世帯分離という手続きになります。その上で、医療と介護の両方で、限度額認定の手続きを取りましょう。これは、所得に応じて、毎月の医療費および介護費の自己負担金額に上限を設定してもらえるというものです。お母さまの収入が国民年金だけということですから、この手続きを取れば、月額10万円もかけずに老人保健施設で生活することができますよ」

神崎と別れてから、車のなかで和彦が言った。

「いやあ、なんか信じらんないんだよな。月々25万円とか、どうやって捻出しようかって悩んでたけど、本当に毎月ひと桁でやっていける方法があるなんてな。驚いた」
「私も! 神崎さんが言ってたみたいに、やっぱ知らないと損しちゃうことってあるんだねぇ、世の中って」
「だよな。神崎さんとこのホームページ、よぉく読んでみたんだけどさ。すごいよ、なんでもやるんだよ、あそこは。入退院の手続きとか、カルテや検査データの取得とか、そういう病医院との交渉事から始まってさ。症状に合わせた専門医の紹介でしょ。施設探しとか葬儀社探しとか。あと、当然、遺言とか相続まわりの話。お金がなくって老人ホームに入れない人のために、持ち家の転売までやるって。ありゃ、医療と福祉のブローカーだな、さしずめ」
「すごいよねぇ。ブローカーっていうとちょっと危険な感じがするけど、普通の人だしねぇ」
「そう。ちゃんとしたビジネスマンに見えるしな。ま、そうじゃなきゃ医者とか弁護士とかと折衝なんてできないだろうけどさ」

悠子は思った。あの日あの時、それこそ、清水の舞台から飛び降りるな覚悟で「お困りごとホットライン」に電話して本当に良かったと・・・。あの日から、夫も自分を気遣ってくれるように変わったのだ。あの日から、いろいろなことがすべて好転していったように思えてならないのだ。

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