【デキる上司の十訓十戒004】おまけのエピソード

ここでひとつ、「布施と利行」のイメージをさらに掻き立ててもらうために、こんなエピソードを紹介しましょう。
 
母子家庭で育った彼は、物心ついたときから、大好きな母に感謝し、その母に決して苦労をかけまいという意識が知らず知らずのうちに心に刻まれていきました。

小学校時代のことです。ある時、母が庭で洗濯物を干していると、友だちと鬼ごっこをして遊んでいる彼が見えました。さりげなく様子を見ていると、あっという間に彼は鬼に捕まってしまいます。鬼が数を数えているうちに、友だちはみんな少しでも遠くに逃げようと庭から外へ一目散。花壇の花を踏みにじりながら駆けていきました。しかし彼は、花を前に躊躇し、遠回りをしようとしたところで鬼に捕まってしまったのでした。夕方、家に帰った彼に母が言います。「母さんもおまえも、弟や妹たちも、父さんがいなくても一生懸命がんばって生きている。庭のお花だってそうだ。一生懸命がんばって生きてきれいに咲いて、私たちを励ましてくれている。お前にはちゃ~んと、それがわかってんだな。お花の気持ちが、お前にはわかるんだな。母さん、うれしいなぁ」。

また、ある夏の朝。その日、うさぎのえさ当番だった彼は、始業前に用務員のおじさんからえさの入ったボールを受け取りうさぎ小屋へ。が、よく見るとえさに泥がまじっていることに気づきます。始業時間は迫っていましたたが、彼は校庭の隅にある水道まで駆けていってえさを丁寧に洗い、それからうさぎ小屋に戻ってえさをやりました。しかしそのために、一時間目の授業には遅刻してしまいます。彼は先生に叱られ、廊下に立たされてしまうのでした。

この話を聞いた母はこう言います。「ホント、おまえは几帳面で優しい子だな。泥のついた葉っぱなんてうさぎさんに食わせたら大変だもんな。かわいそうだもんな。用務員のおっさんも、忙しくって気づかなかったんだろうな。今度の当番の日はな、10分くれぇ早く行け。またそんなことあっと大変だからな。念には念をじゃ」。「うん!」。元気に返事をする彼を膝の上に抱き上げると、母は何度も何度もその頭を撫でるのでした。彼は小さいころから、母親にそうされるのがいちばん好きでした。

さらに、ある日の学校帰り。午後から急に振り出した大雨にも、気を利かせた母が持たせてくれた傘のおかげで、「さっすが、お母さんだ」と、嬉々として家路についた彼。ふと先を見ると、よそ様の家の軒下でずぶ濡れの少女が泣いています。彼はそっと近づくと、ズボンのポケットからしわくちゃのハンカチを取り出すと少女に「ハイ」と差し出しました。はじめは怪訝そうにしていた少女は、小さな声でボソッとひとこと、「ありがと」。彼が微笑むと、数秒おいて少女も笑顔になりました。彼は何となく恥ずかしくなって、そのまま自分の傘を少女に手渡すと、ずぶ濡れになって母の待つ家まで駆けていったのでした。

驚いたのは母のほうです。「傘を持たせてやったじゃろうに」と事情を尋ねる母に、彼は帰り道であった出来事を話します。母はバスタオルを取ってくると彼を膝に抱え上げ、こう言います。「いいことしたな。困ってる友だちさいたら、助けてやる。母さん、おまえみたいな優しい子、大好きじゃ。嬉しいぞ。大きくなってもそすっだぞ」。そして、雨に濡れた頭を撫でるように拭いてくれるのでした。くしゃみをしながら母の顔を見ると、母の笑顔がありました。

「でもな、母さんの大事なおまえが風邪でもひいたら、ちょっと困っちゃうからなぁ。次はな、女の子の家の場所を聞いてみて、遠いようだったら、一緒にうちまで連れて来るっさ。したら母さんが送っていってやるっさに。もしも近けりゃお前が送ってってあげろ。ま、どっちにしてもさ。一緒に傘に入って、相合傘じゃ」。

俯きながらモジモジする彼に、母は「男の子じゃろうが」と言ってポーンと背中を叩きました。「うん!」と元気よく答える彼に母はこう続けます。「母さんなぁ。お前には、みんなに優しく、みんなを元気に励ましてあげられるような、そんな大人になって欲しいなぁ」。

それから十数年後。大好きな母を喜ばすために、世の中の人たちに喜んでもらうためにどうすればいいか……。考えに考えた末に上京した彼は歌手を目指します。母とのエピソードを歌詞にした曲でその年の賞を総なめにします。男女の色恋をテーマにした歌謡曲全盛の時代には異例のことでした。森進一さんの『おふくろさん』です。

それにしても、森進一さんとお母さんの逸話は胸にグッとくるものがあります。わが子をほめたり叱ったりする母の言葉には一貫して愛があります。一時の感情で喜んだり怒ったりするのではないのです。まず熱くほめる。具体的にほめる。そんなあなたが好きだと伝える。抱き寄せて頭を撫でる。次はこうしたらもっと素晴らしいとクールに諭す。こんな人間であって欲しい。こんな生き方をして欲しい。そんな心底からの万感の思いや願いが伝わってきます。そう。心に響くのです。

さて、翻ってあなたは、どのような言葉で部下を褒め、叱っているでしょうか……。
 
実は、布施(褒めること)と利行(叱ること)の目的は同じです。褒めるのも叱るのも、部下をあるべき方向へ導くためにソノ気にさせるための手段です。その意味で、「褒める」と「叱る」はコインの表と裏の関係なのです。良寛和尚は、『表見せ、裏また見せて散る紅葉』と詠っています。人間は泣いたり笑ったり、迷ったり悟ったり、病気をしたり健康になったり、喧嘩をしたり仲良くしたりしながら人生を送り、そして時期が来れば、ちょうど紅葉の葉が散っていく様に散っていくのだと。人生で起こるさまざまな出来事は、どれも表裏一体だということなのだと思います。

いずれにせよ、改めてほしい点や物足りない点があったとしたら、そこをネガティブに責めるのではなく、こうしてみたらどうだろうとポジティブに伝えるように心がけたいものです。そして、時には提案の枠を超えて、先行してほめてしまうことで洗脳(?)あるいは前向きな錯覚を喚起する。それが「利行」の叱り方の本質なのです。

誰しも自分が認識していない点をほめられたり期待されたりすると、「細かいところまで見ていてくれるんだな。よし、期待に応えなきゃな」という前向きな勘違いが芽生えてくるものです。ところが、部下のために善かれと思って伝えたことも、それが説教やお小言のように伝わってしまえば逆効果なのですね。もうおわかりいただけると思います。

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