お金を稼ぐ=働く
キリスト教では「労働は神が与えたもう罰だ」と語られている
変わって日本神話では労働は神でも行っているありがたいことだと語られている(以下参考文献)
この違いが日本人を日本人たらしめているなぁと最近感じた
西洋文化と違い「神もやってんだから辛くてもやりなさい」と言い聞かされてるようで同調圧力を感じてしまった
神話や宗教は人々に秩序を教えていく媒体と聞いたことがあるが故に日本人の「周りと一緒であるべき」という潜在意識はここから生まれたのかと勘ぐってしまうほどだ
本題に戻そう
働くとは要はお金が稼げていればそれでいいのだと思う
日本の三大義務に「労働の義務」とあるが、不動産や有価証券等の不労所得によって生活できている人もいる
他の三大義務「納税の義務」と「教育を受けさせる義務」には法に触れることもあるが「労働」をしないからと言って罰せられる法律を私は知らない
法学者の中には「労働の義務」を見直したほうがいいのでは?と言う意見もあるくらいだ(以下参考文献)
また、「仕事辞めたい」「早く定年を迎えたい」と辛そうな言葉を吐きながら仕事をする人もいれば、好きな仕事をして生き生きとしている人もいる
本来であれば後者があるべき姿なのだが、世の中の労働者は殆どが前者だ
もう文句を言いながら仕事をするのは辞めよう
時代が違うのだ
人があくせく動くことが「働く」という時代ではないし
苦しい思いをして働くことが「労働」でもない
自分の得意なこと、自分の好きなこと、自分が苦もなく出来ることが仕事になり、個の能力が尊重されるそんな時代である
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