日本人介護士がフィリピンへ
フィリピンの介護養成学校
フィリピンの首都マニラに到着後、まずは生活拠点を見つけなくてはならずインターネットカフェで情報収集を行った。するとマニラに英語留学をしていた日本人のブログを発見。フィリピン人英語教師とマンツーマンでレッスンを受けながら衣食住のすべてが整っている英語学校が紹介されていた。
今でこそフィリピン、特にセブの語学留学は有名だが、当時はその先駆けだった。私が連絡をした英語学校は、学校といっても一軒家に個室が用意されていて、通いの英語教師が訪れて授業を行うというシンプルなスタイルの教育施設であった。
アメリカで英語は学んでいたので、レッスン中に教師からフィリピンの介護について情報を集めていた。すると別の英語教師が介護士養成学校を卒業し、カナダに働く準備をしていると聞き、その教師から介護養成学校を紹介してもらった。
日本人ということで、早速学校の代表と面談ができた。「フィリピンの介護教育がどのようなものか見学させて欲しい」と願い出た。幸運なことに、その学校は日本向け介護クラスを新設し日本語教育も行っていた。私との繋がりは、日本マーケットへの足掛かりになると考えてもらえたようで、見学を許可された。
その後、約半年間フィリピン人受講生たちと共にフィリピンの介護を学んだ。
日本に帰国後再びフィリピンへ
アメリカとフィリピンの介護に触れ2009年に帰国。在学中に社会福祉士と精神保健福祉士の資格は取得していたが、介護福祉士の資格はまだ実務経験が足りず取得できていなかった。
2カ所の有料老人ホームで働き資格要件を満たし受験。介護福祉士の資格取得後は、今までの経験を活かし、介護業界で日本と世界を繋ぐ仕事に就きたいと就職活動をした。しかし、海外での経験は評価の対象にならず、どこからも採用されなかった。
そんな折に、フィリピン滞在中に知り合った日本人から、「一緒に介護関連のビジネスをしよう」と誘われて再びフィリピンに渡った。ただ、2011年の当時はまだ介護関連のビジネスといってもフィリピン国内には介護市場はなく、何も出来なかった。
一方で、日本にフィリピン人介護士を送り出すビジネスはと調査したが、国際厚生事業団とフィリピン海外雇用庁(POEA)のみで行っており、民間企業が入り込むことができなかった。
いずれ送り出しの人数が増えれば政府機関だけでは対応できず、必ず民間企業の力を使うことになると考え、その時期が来るまで待つことにした。その間、フィリピン企業の不動産会社で働くことにした。