普通って何だろう
よく言葉に出していう「普通」とても使いやすい言葉だと思う。とりあえず言っておけば何とかなる。
上でもなく下でもなく真ん中あたりを指すのかな。
「この絵は普通だね。」
「普通のやり方はこうだよね」
僕だけでなく多くの人がこの「普通」を使っている。特に日本人は使うかな。周りから離れないためにここを目指している気がする。
ただ、これからも「普通」を使って「普通」を目指していくことが正しいことなのかは知らない。
そもそもわかってない。今は「普通」でもないと思っている。
けれどもそれはいいことなのかもしれない。
みんなと少し違うことをしてみる。それが自分だと思う。全員が同じことしてたら不気味だよね。
どうしても周りと同じようにしていないと白い目で見られる。悪いことをしてるつもりはないけれど罪悪感が生まれる。
変だよね。小さい頃は無限に夢を持っていたのに今となっては限られた方向しか見ることができない。
誰かが制限しているわけではない。自分が暗い一室に自分を閉じ込めているのだ。いつから無意味なことを続けてしまうようになったのか。
しかし、僕はまだ学生と言う立場にある。実家で暮らしているし不自由なことはないと思っている。
しかも、時間は大量にある。今日、このnoteを書くまでにどれだけの時間があっただろうか。
その時間は自分を変えることができる時間だと思う。いや、そうである。
何をしていたんだろう。今までも。時間が有限であることは知っている。しかし、明日が来ると自分で思い込んでいるから余計な余裕が生まれる。
私はそんなに気ままでいいのか。気楽に生きたいと心から思っているのは確かだが自分のためには今すぐにでも行動しなければいけないはずだ。
いつも言葉のみ。ここから脱却するには何をすべきか全力で行動し路を見つけるしか方法はない。
座り続けるのが楽しいと思わない。だが、立とうとしない。
周りはすでに歩き始めている。
私もすぐに一歩を踏み出す。