無意味と抽象的、虚構と抽象的
具体的なこと書きたくない。無意味なことを書きたい。
こういう気もちは、抽象的な文章を書くことによって満たされていた。満たされた気になっていた。しかしその抽象的な文章は、実はぼくの具体的な経験が抽象されたものであり、そのことを痛感した。
すると、ぼくのなかでもはや
無意味であること
と
抽象的であること
の境目がはっきりしなくなった。つまり、抽象的であるだけでは、意味から逃れられなくなったので、ぼくは虚構を書きたくなった。しかしその虚構は、ぼくの具体的な経験を抽象化したあとの、いわば枠(構造と言ってもよい)に、異なる登場物が代置されたものであり、そのことを痛感した。
すると、ぼくのなかでもはや
虚構であること
と
抽象的であること
は横断できることになってしまったので、ぼくはもっとうまく意味と付き合っていけるような気がしている。つまり具体的な経験から抽象化した無意味な枠にいろんな登場物を盛ればよいのだ。それは、世界にはいろんな意味を帯びさせうるということである。
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