とりあえず1日を過ごして
noteを始めてから一年が経とうとしている。いろんなことがあって、それはもう嵐のように時は過ぎていった。穏やかな日もあり、特別な日もあり、怠惰な日もあり、沈鬱な日もあり、幸福な日もあった。それはもう色々な日があった。
だけど、何が変わったのだろう? 人はみな、何食わぬ顔をして、とりあえず1日を過ごしている。ぼくだってまた同じように、ひっそりと、限られた顔見知りの人々といっしょに、1日ずつを、過ごしている。
地球上では、さまざまな調整が行われ、注目を集める事柄は、新聞やネットをにぎわしている、らしい。
ぼくは、現代の世界の大問題や、昔から人間を捉えて離さない問いを、考えたりしている。でも、それはどこからやってきたのだろう?
どこかのおばあちゃんが、車の上に布団を干す。車の中は夏はとても温度が上がるのでダニを死滅させてしまえるらしい。なのに、おばあちゃんは布団を車の上に干す。白い布団を整えている。だからぼくは生命のふしぎを思う。
自分の寝床を整えて、それでひとは寝る。それはとても愉快なことだ。ぼくも今日はこれからは寝る。そうやってとりあえず1日を過ごしてゆく。
何も必要なことはない。苦しみはあったとしても、それほど簡単にそれを否定することはできない。という意味は、苦しみは無用の長物に見えたとしても、なんというか、あとになったらそれほどに無意味なことではなかったと、そう思う、とかそういうことはしばしばあるのだ。
なんだろう、苦しめと言ってるわけではなくて、あなたという現象を無理せずハツラツと生きるときに、たまに、苦しいというときがあっても、肩の力を抜いて、それに向き合ってみて、それほどに冷たい苦しみでなければ、つまり、海や山や空を眺めたときに感じるくらいの温かさを感じるのであれば、それを受け入れてみるのも、案外おもしろいんじゃないかな、ってそう思うってことだ。
悩んでもいいのです、それは正しいことです。地球とか、宇宙とか、過去とか未来とかを、忘れないでください。すべてはあなたとそれほどに違わない物質でできています。
ふつうに1日を過ごしていくのです。みんなおしゃべりしていますが、だいたい何も必要はないのに、つながろうとしているのです。大きなものにつながりたいという気持ち。
しかし実際にはもうすでに十分すぎるほどにつながっているのです。折り合いの付け方の方が、むしろ大事なのかもしれないですね、明日になったらまた友達がふえるとしたら、少し大変ですもの。
何も変わらないとしても、ぼくらは経験を積み重ねて、広い世界を狭くしていって、たとえば、こたつに置いてあるみかんを手に取って、皮をむいて、ついにそこに宇宙を再発見する。ぐるぐると言葉をかき混ぜて、noteに投稿して、一年が経とうとしていて、ぼくは変わったのかな?
こうやって独り言を空に。月は出ているのか。エベレストはきょうも雪。海はあしたも塩を贈る。やっぱり最後はじぶんなどどうでもよくなり、それはすべてがじぶんであるということで、心身合一など超えてもっと簡単な状態へと至って、別れてゆく。
なんだかどうにかうまくいきそうな夜に、願っている。
とりあえず1日を過ごしている。
それでよい。よくやったとおもうよ。
とりあえず、明日が来たら、また始めよう。
それまでは、何もしなくていい。
ふたたび眠りに落ちる夜ですから……。
おしまい。
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