朝4(意味)

視覚と触覚との関係はわりと強いという話だった。
つまり色の区切りと触り心地の区切りとが一致したときにモノだと分かりやすいという話だ。その区切りに名前をつけることができる。この赤い丸の区切りがリンゴ。この銀色の円盤の区切りが一円玉。つまり言葉と区切りが対応させられる。させることができる。逆にいうと対応をやめさせることもできる。

言葉を出すと聴覚が登場してしまう。すこし増えてしまった。ちょっと待とう。

すこし意味という話にしておこう。意味ってなんだ。さしあたり定義する。欲望への手段である。たとえばリンゴには食べられるという意味がある。見ているときによるけれど。テーブルを片付けるときにはただの丸い物体という意味をもつかもしれない。
前者なら食べておいしいとか腹を満たすとか水分を補給するとかといった欲望を満たす手段と考えられる。
後者ならテーブルの上をモノがない状態にしたいという欲望を満たす手段である。リンゴを移動させればきれいな状態が実現するのだから。

一応ゆるく定義したところで、この意味という新しい区切りは視覚にも付きまとっていると言いたいのだ。視覚の区切りと意味(欲望のための、欲望による区切り)とが対応させられる。

だからわたしたちはよく見ることで、自分がやりたいことを実現するモノ(の色)を探す。実現する動き方を知るために、周りに何(の色)があるのかを絶えず見ている。逆の言い方もしよう。見えている色によって何ができるかを知らされる。まあ環境に縛られているとも言える。

ただ単に視覚と触覚との区切りだけではない。
そこに意味という区切りが関係してきて、わたしたちはその関係をいろいろに作ったりもする。
おんなじ物体でも違う用途に使ったり、まったく新しい物体を作ったりする。木を掘って船にしたり、金属やプラスチックを集めてパソコンを作ったりする。

それで、今までなかったモノには新しい名前をつける。

そろそろ言葉とか聴覚とかに行ってもいいかなあ。
ちょっと分かりづらくなったかな。
今日はここで時間切れです。

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