何かがある

今日も何かがあった。それは特に大したことでもないように思えたが、そんなことはない、みんなのおかげでもあるし、みんなにとっては大した日だったのだ。たまたまぼくにとって穏やかな1日だっただけだから、感謝しよう。何かしらのことが起こるとき、そこに何かしらの原因があると考える人が多いし、多かった。どうしてもそう思えるのだろう。ぼくたちの意識にとって連続性が感じられるから、それはどうしてかは分からないけれど、連続性が感じられるから、昔から人々はそれをみんなで確認している。またもこうして日が暮れて、ぼくは変わりたいと思っている。万物は流転するという言葉通りに、ぼくは変わっていく。ぼくがぼくであるという意識だけが変わらずにぼくのその他の認識はいくつも変わっていき、ぼくの身体がそれに追いつける程度の早さを探っている。形のないぼくの知識や経験や認識の枠組みや考え方は具体的な世界や環境や物体としてぼくの意識に現れる。そのことを注意深く見るときに生きることの不思議さが燦然と輝く。特に意味のないことでもあるし他人から見たら少しの変化かもしれないが、話すと分かる。言葉に固執するぼくの性格から言語的コミュニケーションは重要だが、非言語的な感覚がコミュニケーション一般には反映されるとして、ぼくはそこの変化が感じられたときに感慨を覚える。言語的コミュニケーションの様相が変わったところから、非言語的な感覚の変化を感じ取り、以前触れられなかった部分が共鳴したときに、つながったという感覚があり、それが生きることの不思議さを輝かせる。そこに何かがある。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?