何もいらない(つれづれなるままに Part9)
もう今年も残り数日となり、すこし振り返ってみたりしたくなるような気分もあり、ふと思い返すとこうして特に意味もない文章をさらし続けているのは一体何をしているのだろうかと、感慨深いような気がしてきます。その時ごとの気持ちをまあ書ける範囲で形にして、誰かに読んでもらえてるのかもしれないみたいな感覚で続けてこれたのは、ありがたいことです。
悩みというのは尽きませんが今日もこうして何とかポチポチと言葉を並べることができており、とても恵まれたことです。私にも私なりにいろいろ大変に感じる時期もあり、それは今だからこそ冷静に振り返れるし自分なりに説明もできるしやっぱりそれなりに大事な経験だったと言わざるを得ないのですが、でもその時はとても苦しかったから、これからは再び落ち着いて、自分として自然にやっていきたいと思っています。
具体的なことは書いてないので、落ち着くと言ってもどういうことか伝わらないと思いますし、上に書いたように苦しむこともその時の自分には不可避だったのかもしれないなあと思うので、おなじように、これから先、また落ち着きがなくなってしまうこともあるかもしれません。でもそんなときに、今の私の状態を思い出すためにも、こうして書いておくのは有用だろうと思います。
落ち着いて考えてみると、何もいらないのです。それなのに、何かしらの感情が働いて、より多くのことをできるようになりたいと様々なことに向かっていっていました。危ういことです。それでも、大きな病気やけがをすることもなく、すばらしいと感じる体験をいくつもすることができました。だから、私という存在の幅を広げるために必要だったのだと、今は思っています。
いろいろなことを考える過程で、より多くの感情を体験し理解していくことの必要を痛感した結果、そのような感情に辿り着くための方法を模索していました。すると、今まで経てきた経験と、そこまで異なることが起こっているわけではないのですが、体験に対する自分の感じ方とそれへの対応の仕方とに、自由度が増しました。自分と、自分に起こってくる物事との交渉を肩の力を抜いてできるかもしれない、という予感を何とか握りしめています。
誰の言うこともそれ自体として間違っていることはなく、しかし私の感情を妨げない仕方で、みんなの言葉を活かしていけばよいと思っています。それにしても、この1年間、実に多くのことがありました。あまり容易に整理しきれないし、する必要もないと思えるほどです。落ち着いて、ひとつひとつ感じて、いいと思えるセンサーを大切にしていくことだと思っています。
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