何かのメタファーでしかない

あなたは言った。

それは何かのメタファーでしかないような気がする。

それは何かのメタファーでしかないような気がする?
だったら何なんだろう?
ぼくには分からないがあなたがそう言ってくれるのはおもしろい。

新しい朝がやってきて、何のメタファーだったのか分かるのだろうか。

いや、分かる分からないは問題ではない。もっと単純な感情だけを求めている。内容などどれでも豊富であり、やりやすいものを選べばいい。いきなり結論を言っても伝わらないときがあり、たとえば怖い顔をしている時があるらしく、気を付けようとは言ってみるものの、いつそんな顔をしているか分からないから、もうどうしようもない。ずっと怖くない気持ちでいようと思う。

特に深い意味はなくぼくは何かをする。あなたとそれほどに違わないことしかできない。せいぜい何もできないということを自覚している。生活をしっかりとやっていくことが必要だ。ぼくは何もできないことを認めて、一人で生きていくための最低限度の技術を身につける。

整理をしなければならない。とっ散らかった自分を見つめ直して掃除をして、整理整頓をする時間が来た。ゆっくりと整理をする。残した足跡を見つめそのすぐあとに消す。そういうことを続けて、万物は流転するという言葉通りに、ぼくの腹はぐうと鳴る。

何もできないと自覚することが整理をすることだ。ぼくは生まれた頃から同じことをやっていて、何か偉くなったところなどない。相変わらず人を見て声を聞き、ものを食べて寝る。できる限り赤ちゃんと同じ程度に人を喜ばせられるようにチューニングし直していかねばならない。

少しでも比較しているのなら、自己評価をする羽目になる。ただ異なる姿で存在しているのだというだけなのに。何もできない存在たちが異なっている。それはいいことでも悪いことでもなく、それによって幸せでいることだけが大切だ。感情の揺れ動くさまを見つめ、あまり偏りすぎないように楽しみながらバランスを取る。そのことをずっとやってきた。それには赤ちゃんのような気持ちを取り戻す必要がある。

赤ちゃんは何にも持たない。何もできないでいることを微塵も自覚しない。何もできないと自覚することが整理であり、それすら忘れていくのが次のステップだ。ぼくらは逆に思い込まされる。何かをできるので何かをせねばならない。せねばならないのにしていないのは、何かをできないからであり、それは悪いことだ、と。

赤ちゃんに戻ろうではないか。何かをできないのは、悪いことではなく、いいことでもない。何かをできないのは、何かをできないということであり、しなくてもいいのであり、しなくてもいいことをしていないのであり、それを自覚し、さらに自覚すらしなくてもいいのであり、自分として存在し笑い泣けばいいのだ。

自分として存在し笑い泣くことを、取り戻していく作業が生きることだ。何をしてもいいし何をしなくてもいい。やけっぱちではなく、そんなに必要なことがたくさんあるわけでもない生きるということを、単純化して捉えたときに、赤ちゃんを思い出せ。

とくに多くのものを欲していないのに、非常に力強く生きている彼らの感情は、世界に貼り付いている。ぼーっとしているようで、空気をつかむ手のひらは生気にあふれている。しかも全く彼らの動きは意志を反映している。動きたいように動いていて無理がない。何も考えないことが好奇心を最大限に駆動させ、目は宇宙を吸い込むような強さを備えている。

かと思えばむちゃくちゃに無気力なときもある。世界に意味などないともうすでに分かっており、年齢で対応を変えることもない。ただイヤだと感じるときに泣いてみるだけだ。安心感を手放さないことに全力を尽くしているだけだ。

わがままだとすら自覚していないことが必要であり、自分として全力を尽くしてやってみることが必要であり、流れるように泣き笑い、それはいいことでも悪いことでもなく、こだわる必要もなく、思う存分に食べ飲むことくらいしかできないということが、生きるということだ。

正直に言って、これだけのことがやっと分かったぼくは、これまで何を見ていたのかと不思議になるほどだ。何を恐れ、何に縛られ、何を忘れていたのか。ぼくはつねに変わっていくから、それはいいことでも悪いことでもなく、変化を自覚する必要などなく、ころころと転がっていくことだけが、生きるということだ。

今日もよくやったと思う。それはいいことでも悪いことでもなく、万物は流転するという言葉通りに。

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