つれづれなるままに Part5
イカリ豆をこれまた久しぶりに食べた。久しぶりに食べた食材のことを書くのは気楽にできる。そんなに驚くべきものを食べているわけじゃないし。
久しぶりに食べたイカリ豆の賞味期限が、ある人の誕生日だった。
なんとなくびっくりした。いま思うに別にびっくりするほどのことでもない。だって賞味期限も誕生日も、カレンダー中を埋め尽くしている。みんなの誕生日が来るのといっしょに、どこかの食料の賞味期限は来る。
だってぼくたちは食べながら生きている。
そしてぼくたちにも賞味期限が来る。
するとぼくたちは、食えない奴だ、と言われてしまう。
☆ ☆ ☆
基本的にぼくたちは同質な生き物だから、いつ生まれたかを把握することで、言い換えれば、生まれてからどれくらい経過しているのかを把握することで、その状態を推測することができる。
それはとても大雑把な推測であり、ぼくたちは具体的な条件をたくさん吸収しながら生きてしまうってことを忘れてはならない。
☆ ☆ ☆
なんかこの文体飽きたし違うのがいい。
あんまり正確に書こうとしすぎる気がする。もうちょっと適当な気持ちで書いてもいい気がする。
いや違う、自分が書いているということをメタ的に意識しすぎている。
☆ ☆ ☆
I'll try to write my feelings in English, but I want to talk in the language which is not used by any human beings, and I know such a language is not language, and I also know Wittgenstein already talked about this kind of themes, yep, I don't have any interesting or new topics about that.
I want to know how you are. And, LET it be.
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