どうしても頑張りすぎちゃう
何が一番大事?
仕事と家庭を天秤にかけるのはナンセンスという考え方もあるけど、無視できるものでもない。
なんだかんだ言って、外に出ると(会社員として仕事すると)手を抜くことができなくなる。
時間内に終わらせる努力なんてとうの昔からやっている。
しかし、やればなるほどどんどん仕事は増えていくし、振られるんだなぁ。
組織を作っていく上で人数的な限界は必ずあって、全てを現状の人数で回すのは不可能。
でも頑張っちゃう。
これすなわち、ワーカホリック!w
平成の前半なら当たり前だったのか?
頑張ることが悪いと言ってるわけじゃないのよ。
むしろ頑張るべきところで頑張らない方が悪いと今でも思う。
それでも、現代で生きていく上で
と思ってます。
しかし、自分の父親が働いていたときのことを思い出すと、確かに夜遅くまで働いてたな。
きっとそれが当たり前だった時代。きっと平成の前半はそうだったんだろうな。
ん?それより働いてないか?
ふと思った。
平成の前半と同じ営業利益を上げようとすると、人は減っても仕事量は変わらない。
仕事に拘束される時間は1日15時間になる。
これは通勤も含めているけど、通勤を抜いても10時間。
子どもとのやりとりは「行ってきます!」だけになりがちで、ホント平成前半と変わらないか、むしろそれ以上働いてる印象があるなぁ。
手を抜けないのは悪い癖
仕事のクオリティを下げてまで手を抜けと言っているわけではなく、職場の風潮や伝統として理にかなってない「無駄」には手を抜いていいということです。
仕事はアウトプットが全てなので、そこさえ手を抜かなければそれでいい。
社内政治のために時間を割き、自分の時間、家族の時間を削るのは違うよね。という話。
(これが役員報酬で働いている立場なら話は別だが、一会社員としてはこれだ)
どこまでそれを許容するかの線引きを「仕事と家庭」で天秤にかけていくのは真っ当な気がする。
その天秤の上で「不要なところは手を抜く」ということができるようにならなきゃと。
頑張りすぎからの脱却
意識しないと無理してしまうのは我が夫婦共通。
妊娠出産育児の時、妻はすごく頑張ってた。
それを見ていて、「力抜いて大丈夫だよ」と思っていたけど、それが難しいってこともわかった。
そのくらいの意識じゃないと、頑張りすぎちゃうんだよねぇ。
これは今まさに私に起こっていることで、なんとか脱却するために意識しまくり。