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うろこ雲と紫煙と金木犀

 こんばんは。秋ですね。いつの間にやらすっかり。今年の夏はいつまでも続く気がしてましたが、少しずつ涼風が吹きいつの間にか空にはうろこ雲が浮かんでいて、私の鼻腔に金木犀の香りが届くようになっていました。
 
 季節に関わらず、ずっと続くように思っていたものも、どれだけ大切に思っていても、いつの間にか終わりがくるのだと貴方が最期に教えてくれました。

 10月7日午後9時16分、父が亡くなりました。

 親孝行もお礼も思い出もまだまだ返し足りない、まだまだ伝えられてない想いしかない早すぎる別れです。後悔しかありません。
 この一週間、様々なところで父の偉大さを再認識させられました。どこへ行っても誰が弔問にいらしても父に世話になった、立派な人だった、優しい人だった、面倒見が良くて仕事ができて……と。これ以上誇らしいと思えて同時に切なくなる日々はありませんでした。
 
 枕経をいただいているとき、闘病の末こけてしまった父の横顔を見た時、とめどなく溢れた涙と嗚咽に父の事本当に好きだったんだなと、どうしようもなく再認識させれました。
 
 旅行にご飯にもっと恩返ししたかった。パートナーを紹介してもてなさせてあげたかった。孫の顔を見せてあげたかった。一緒にゴルフのコースを回ってあげたかった。もっとありがとうって言いたかった。
 ただいまってもう一度言いたかった。

 私は放蕩の長男だし、父の思うような理想の長男ではなかったと思います。それでも父は受け入れてくれました。今回の葬儀で喪主のあいさつをしました。少しは長男らしく出来たでしょうか。受けた愛を父へ少しでも返せたでしょうか。 

 本日はご多用の中、父、〇〇〇〇の葬儀に参列いただき誠にありがとうございます。長男の〇〇と申します。喪主の母に変わりましてご挨拶申し上げます。
 父は、がんが肺へ転移したことにより10月7日寿算69歳にて往生いたしました。多くの方に心のこもったお別れの挨拶を賜りまして父もさぞかし喜んでいることと存じます。生前中のご厚誼に、厚く御礼申し上げます。
 ここ数年は様々な病を患いまして、本人もその度に乗り越えて参りました。闘病中も弱音を吐いたりすることはせず闘い抜きました。責任感が強くまじめで曲がらず優しい人でしたので、周囲にも病状はあまり知らせたりせず突然のお知らせとなって驚かれた方もいらっしゃると思います。父らしいと思いつつ、恐縮でございます。
 皆様それぞれに父とも思い出があるかと思います。例えば私は自分の手を見ると幼少の時分に寝かしつけてくれた父を思い出しますし、ここに父の面影を見ます。また、会場にはいただいたお焼香の香りがしていますが、香り、匂いといえば、患うまで父は喫煙者でありました。煙草の匂いがいい匂いかどうかは人それぞれかと思いますが、私にとってセブンスターの残り香は、安心する父の匂いでした。街中ですれ違いざまにふと鼻をくすぐるその残り香は、今でも父を思い出し想いを馳せるきっかけになります。
 父は現世を離れましたが、こうして私たちの思い出の中でいつまでも見守ってくれているのかなと思っています。私にとってのセッターのようにご参列下さった皆様も何かのきっかけで父のことを時折思い出していただければ、故人ともども大変嬉しく思います。
 私の最後の父との思い出は、亡くなるつい一週間前に、家族一同にて集まる機会があり、社会人としてしっかりまい進するようにと励ましの言葉と共に形見の時計をもらったことです。今はただそうした最期まで家族思いで優しい真面目な父の背中を追いかけて、この時計に見る思い出の中で叱咤激励を受けながら一生懸命頑張っていかねばと思うばかりであります。
 本日の葬儀は一つの区切りでありますが、終わりではなく父、〇〇と、ご参列の皆さまのお力を借りながら育んできた〇〇家の新しい形でのスタートとなります。まだまだ若輩でありますが、これまでにも増してご指導ご鞭撻のほど、変わらぬご厚誼を賜れましたら幸いに存じます。引き続きよろしくお願いいたします。
 簡単ではございますが、お礼のあいさつと代えさせて頂きます。
 本日は誠にありがとうございました。 

 あと何年後にそちらに行くかわからないけど、その時、このあいさつの出来、教えてください。
 私はあなたの面影とこれからも生きていきます。本当にありがとう。お疲れ様でした。
 じゃあまた、おやすみ。

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