科学史から見た量子力学の間違いー短縮版
量子という概念が発明されたのは熱力学による空洞放射からでした。19世紀は熱力学の時代でとくに製鉄業において溶鉱炉の内部の温度を推定する必要に迫られていました。炉内の温度の推定で出てきた式が、e=nhv です。hはプランク定数、vは波長、nは整数です。なんと温度はnに比例する、つまりとびとびの値をとることが数式で表されたのです。それまで自然は連続した値をとると考えられていたので、この空洞放射をよく現す数式は科学者を驚かせました。
20世紀になると原子の研究が進んできました。アルファ線による解析で原子核の周囲に電子があることが分かってきて、ボーアの原子模型が考案されました。原子核はプラスの電荷を持ち、電子はマイナスであることはすでにわかっていました。問題はなぜプラスの原子核に電子が落ちていかないかです。これは現在でも水素原子をモデルに量子力学の説明で使われますが、初期の原子模型はラザフォードがアルファ線で解析した金などを想定していました。原子量の大きな原子核で考えていたのです。
1920年代まで原子核内部には電子が存在すると考えられていました。核内電子説です。1919年に陽子が発見され、原子核は陽子と電子で作られていると考えられていました。ラザフォードは1920年に核内電子説を発表します。ここで間違いが起きます。原子核がプラスの電荷を持つということは原子核内部で陽子のプラスと電子のマイナスが中和して、電子より多い陽子のプラスだけが原子核の外に出ていると考えてしまったのです。そのため、1924年にドブロイ波が導入され、波動関数が熱力学から持ち込まれました。電子が原子核に落ち込んでいかないこと、電子軌道が飛び飛びであることがぴったりだったのです。
現在でも電気力線はプラスとマイナスが途中で中和すると考えられています。しかし、この電気力線の解釈はマクスウエルが熱力学から導入したもので、ファラデーは電気力線はまっすぐに対象に届くと考えていました。プラスから出た電気力線と同じ本数のマイナスがあると、中和することを否定、マックスウェルに手紙で抗議したといいます。
電気力線は中和しないのです。クーロン力は独立して対象まで届き、対象内部でベクトルが合成されます。原子核内部にはプラスとマイナスがありますが、別々に軌道上の電子に対してクーロン力が働きます。軌道上の電子は原子核の陽子に引きつけられつつ、原子核の電子に反発するので、ゆるく軌道上につながれているのです。しかし当時はだれもこれに気がつかなかったようです。これならドブロイ波は必要ありません。+と-が別々に力を及ばす様子は磁石を使った実験で容易に再現できます。
磁石を使った例、SとNは引き付け合いつつ、反発するので、一定の距離を保つ
しかし1932年に中性子が発見されると、核内電子説は忘れ去られました。ハイゼンベルクにより不確定性原理が主張され、多くの物理学者に受け入れられたのです。しかし湯川博士とアインシュタインはこの間違いに気がついていたようです。アインシュタインが「神はサイコロを振らない」といったことは有名です。熱力学の専門家だったアインシュタインは1個の粒子に対して統計的手法を使う波動方程式の間違いに気がついていました。湯川博士もハイゼンベルクの不確定性原理に抱く疑問をメモに残しています。
「要するにこの論文の特徴は核Electron の問題に関係した難点を Neutron 自身に押しつけて了って、核が Proton、Neutronのみより構成せられるという考えが原子核の安定性に就いて定性的に如何なることがいいうるか考察したるものであって、核内に於いては electron の存在を否定することが果して当を得て(い)るかどうか、にわかに判断することが出来ないが、核を構成する単位粒子の間の相互作用がもっと明らかにされぬ限り、この論文の程度の漠然たる推論で満足する他ないであらう。」・Heisenberg の原子核構造理論の日本数学物理学会誌への詳細な紹介と1933年の学会講演「核内電子の問題に対する一考察」より
湯川秀樹の中間子論は、ラザフォードの核内電子説から発想を得たもので、陽子と陽子を結合するためには、電子の200倍の質量があれば可能であると計算しました。これはのちに発見されたパイ中間子とほぼ同じです。
さて、軌道電子が飛び飛びの軌道を持つ量子跳躍は、量子力学では波動関数から導いています。空洞放射で発見された量子を軌道電子を記述する波動関数として熱力学から導入したからです。ここでは数式を実在として使っているわけです。これもおかしなことですが、物理学は物と物の関係で説明しないとだめです。デカルトが形而上学から近代科学を引き離したのは、物と物で説明するという機械的世界観でした。量子跳躍も物で説明するべきです。
湯川博士は「核を構成する単位粒子の間の相互作用がもっと明らかにされぬ限り、この論文の程度の漠然たる推論で満足する他ないであらう。」としていますが、現在では原子核内部の構造がかなり分かってきています。核内電子説が復活してきたのです。1980年代に発見された低温核融合では中性子の合成が観測されています。中性子は陽子と電子が結合した状態です。このことからも原子核は陽子が電子で結合した状態であることがわかってきました。核内では電子は励起され中間子として存在します。
もうひとつ重要なことが発見されています。原子核にガンマ線を放射するとガンマ線を再放射するシザース・モードです。少し端折りますが、電磁波は荷電粒子を媒質にして伝わります。
原子核からはガンマ線が放射されています。ここでニュートリノを思い出してください。地球上では1秒間に1cm2あたり660億個も飛び交っています。ニュートリノもまた電磁波です。電界のパルスなのです。波長が十分短く電子程度なので、陽子を媒質にしてほとんど減衰しないで伝わります。原子核にニュートリノが入射すると周囲にガンマ線の定在波を作ります。この定在波の狭間に電子が落ち込むことによって飛び飛びの電子軌道が作られていると予想されるのです。
おそらく軌道電子の状態は原子核の構造にも依存していて、かなり複雑です。飛びだした陽子があれば、そこに電子が引かれます。また、1s殻の電子の電荷が外側の電子にも影響します。たとえば水分子は強い極性を持つことが知られていますが、これは酸素原子に結び付いた水素原子が共有している電子が酸素原子側に向いているため、水素原子核―陽子が外にむき出しになっているためだと考えられます。しかし、詳しい原子像はまだこれからです。
中性子は原子核の外では約15分でベータ崩壊して陽子と電子に別れますが、これは中性子に飛び込んできたニュートリノが陽子に結合した電子をはじき出すからです。
では原子核はどのような構造を持っているのか、簡単に説明してみましょう。
原子核の周囲にはガンマ線の定在波があって、その谷間に軌道電子が落ち込んでいます。一番内側の電子軌道を見ると電子は原子核のプラスに引かれつつマイナスに反発して、緩くつながれて小さな半径で周回転しています。原子核を挟んで反対側の電子とは互いにマイナスで反発するため、同じ向きには回転しません。パウリの排他律では同一軌道に同じスピンをもつ電子は入らないとされていますが、その具体的な仕組みがこれです。
たとえば、三重水素は半減期12年でヘリウム3に変わります。三重水素原子核は3つの陽子が3つの中間子で結合されています。
結合している中間子が陽子に一部食い込むことで、外に現れる電荷が1/3と2/3に分割され、結果的に中間子3個分の電荷は1個分に減少します。
三角形に結合した陽子を結ぶ中間子をニュートリノの電界のパルスが通り抜けていくとき、角度がついているため、外側に力が発生して、ニュートリノが十分にエネルギーを持っていると中間子が弾き飛ばされる。原子核に入射したニュートリノは毎回中間子を弾き飛ばすのではなく、エネルギーの高いニュートリノが弾き飛ばすので、半減期があるわけです。
半減期は陽子と陽子が結合している角度、ニュートリノの強さで統計的に決定されるのです。ここではベータ崩壊を取り上げましたが、ガンマ崩壊、アルファ崩壊にも同じような仕組みがあると考えられます。
三重水素が崩壊して中間子を1個はきだすと、のこりの陽子3個は真っすぐに並びます。まっすぐに並んだ陽子にニュートリノが入射しても外にはじき出す角度がないため、ヘリウム3は安定元素です。
ところで、中間子が陽子に食い込んで結合していることは電界の一部が外に現れないことを指します。別稿で質量は電磁質量であることを説明しました。すると食い込んでいる分の電荷は質量として現れません。これが質量欠損の正体であるのです。
かなり端折りましたが、量子力学を否定して、代わりになる理論を提示してみました。量子力学では説明されていない、パウリの排他律、量子跳躍、質量欠損がうまく説明できているはずです。ちなみに量子力学が物性で有効なのは、統計力学を含んでいるからです。粒子の多い系では量子力学は統計力学として機能します。
詳しく知りたい方は「科学史から見た量子力学の間違い」①~⑤をお読みください。