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栗駒山の関連書籍

会報で栗駒特集をするときに集めた栗駒山関係の書籍と、その後入手したものを追加しました。栗駒山の記載があるガイド、 菅江真澄などの紀行から、観察図鑑、栗原の地誌、街道調査など雑多なものが混じっています。



1. 栗駒のガイド、紀行

『奥羽の名山』

三田尾松太郎 冨山房 昭和15年

昭和15年に出版された本書は、栗駒山に関する最初の登山ガイドになるかもしれません。著者の三田尾松太郎氏がいつ登ったかは記されていませんが、戦時色の濃くなった暑い夏だったようです。駒の湯から現在の御沢コースから頂上に登り、裏掛コースを降りています。この頃、皇軍武運祈願のため相当数の青少年団や女学生が栗駒山に登っていたのがわかります。

『東北の山々』

 朋文堂 昭和37年

栗駒山については一関側の真湯温泉口が紹介されています。この頃は道路が真湯から須川温泉まで通り、バスが一ッ石沢の先のオオレン長根まで入っていてたようです。かつてオオレン長根のバス停があったので不思議でしたが、この頃の名残りだったかもしれません。このガイドでは車道をそのまま須川温泉まで辿るように記載されていて、オオレン尾根のコースは一時的な登山道だったようです。瑞山口はすでに 廃れはじめていたと記載があります。栗駒山概略図には下谷地中小屋が明記されています。

宮城県側は岩ヶ崎口として御沢コースと裏掛けコースを紹介していて、まだイワカガミ平からの中央コースはスキーコースと記載があるだけです。

『菅江真澄全集5』

菅江真澄 未来社 昭和50年

江戸後期の国学者・紀行家として有名な菅江真澄が秋田藩にいた頃、1814年に檜山 (雄勝郡東成瀬村) から栗駒山に登っています。このときの日記が『駒形日記』として残っています。この中で朴木枕の和歌を引用し、栗駒山または駒嶽(コマガタケ) とも呼んでいます。赤川沿いに登り、大きな谷地 (湿原) に達したところで日記は終わっています。

この他『勝地臨毫雄勝郡』には須川温泉や栗駒山頂付近が9枚の図に詳細に描かれています。表題の山名は統一されておらず駒形山、駒箇嶽、酸川嶽、駒形峯と書いています。しかし、現在の栗駒山頂1627.7mを大日嶽、駒形根神社 (御室) のある1573m峰を駒形嶽と説明しています。この他にも須川温泉から栗駒山頂にかけて様々な呼称が記されていて興味深いです。

『山岳 第七十年』創立70周年記念号

日本山岳会 1976年

柴崎徹氏の『栗駒山紀行とその解題』が掲載されています。

『未知への足入れ』

 西丸震哉 角川書店 昭和56年(角川文庫)

「秘境を求めて」という章があります。ここには尾瀬北方稜線の湿原の記載があって面白いのですが、「栗駒山密林中の別天地」として須川温泉周辺の湿原の紹介があります。

『イバルナ人間』

 西丸震哉 中央公論社 昭和57年(中公文庫)

「夢の山登り」という章に「ある空想山行」という地図入りの長文があります。鬼首峠から虎毛山を経て万滝のある春川から皆瀬川を下り、最後は沼沢沼を経て湯浜温泉までのルートを想像しながら書いています。

『秋田日記』

 熊谷新右衛門 無明舎出版 1984年

ヤマセによる冷害が続いた天保8年(1837)に、気仙沼の熊谷新右衛門が秋田の矢島に米を買い付けに行ったときの日記で、昭和55年に発見されたと前書きに記載されています。栗駒山の記述は多くありませんが、羽後岐街道のお助け小屋の名前が分かります。オリジナルの日記のコピーに翻刻が付きます。解説は現地を知らない人が書いているようで、参考になりません。

『栗駒・早池峰』(山と高原地図) 

 早川輝雄、他 昭文社 1989年

手元にあるのは早川輝雄氏が執筆した1989年版の古いものです。すでに廃道になっている秣岳の登山道や瑞山コースが載っていたり、残雪期のスキーコースが破線で描かれていて、既に登山史の資料化しています。このシリーズは1/50,000の縮尺ですから、これだけ持って山スキーなどしない方が良いです。ちなみに当時は600円でした。

『山とお化けと自然界』

 西丸震哉 中央公論社 1990年(中公文庫)

Ⅲ章に「一迫川」という紀行文があります。秣岳の西方浄土にたどり着けずに、湯浜温泉から増水した一迫川を下っています。途中で当時の湯浜温泉の主人とすれ違っています。

『宮城の山ガイド』

 深野稔生 歴史春秋社 1992年

コースガイドより前振りが長い独特のガイドブックで、栗駒山については10コースの簡単な案内が載っています。
改めてあとがきを見ると、1991年10月29日(ネパール・ディンボチェにて)…とあります。隣のテントでこんな長文のあとがきを書いていたと今頃知りました。

『机上登山』

 西丸震哉 博品社 1998年

机 上登山という名称は、西丸氏の造語と自分で書いています。私がこの言葉を知ったのは『イバルナ人間』(中公文庫M95-4)に収録されている「夢の山のぼり」(pp.188-203)でした。まだ仙台に戻る前で、標高の低い鬼首の北側の「ある空想山行」には到底興味がもてませんでした。その後、山岳会に入ってから行ったよく通った皆瀬川流域がまさにこの山域でしたが、この机上登山を思い出すのは、ずっと後のことです。
虎毛山や沼沢沼、春川の万滝など、実際に歩いたところが多く出てきます。この『机上登山』に収めている「虎毛山・沼沢沼-森の沼沢をたずねて-」では、最近の情報を加えて再考しています。20編におよぶ考察は、すでに書かれたものの加筆もありますが、未だに若さを失っていないと思わせるものです。
まえがきに「もし実施して、言われたとおりだった、とか、こんなにちがっていたとか、知らせてもらえればすごく嬉しい。ついでに出来のいい写真もつけてくれれば、なお喜ばしい」と書かれています。『やまびと』のコピーと写真でも送ってみようか...、という気になりそうです。

『西丸震哉の日本百山』

 西丸震哉 実業之日本社 1998年

ついこの間でた『机上登山』の続きのような本です。
栗駒山の項を見ると、西方浄土について「三度目にはきれいに入れたが、周囲が落葉樹ばかりで一様な明るさがいまひとつ物足りなかった」と記載しています。人によっては見かたが違うんですね。私はこのブナの明るさが好きです。また、これはサイホウ浄土ではなくセイホウ浄土と書います(仏教はきらいなようだ)。
栗駒山の概念図は『未知への足入れ』(昭和35年、東京創元社)のものを引用しています。このように、墨でピシッと書かれたものの方が、この本の鉛筆書きの絵画的なものより好感がもてます。
登っていない虎毛山と、山ではない沼沢沼もひとつにカウントしていますが、こんなところが、この本の性格を見ているようです。山名を数えたら104つありました。

『山遊び山語り-栗駒・船形編-』

 深野稔生 無明舎出版 1999/11

『週刊 続日本百名山』 栗駒山 神室山 以東岳 船形山

 朝日新聞社 2002/5/26

『上遠野秀宣栗駒紀行-幕末、山を目指したサムライがいた!』

 深野稔生 無明舎出版 2008/12

『南東北名山ガイド 栗駒山』

 河北新報出版センター 2019/5

最新の情報が載ったガイドブックで須川湖の通行止めや千年クロベなども載っています。栗駒山に咲く花の紹介で、7月初めに咲くオノエランが載っていないのが片手落ちか…。

2. 栗駒山の自然

『自然の栗駒-生物-』

 日本自然保護協会東北支部編 宮城県栗駒開発連格協議会 昭和42年

『原色・栗駒の高山植物(増補・改訂)』

 小林隆二 (岩手日日新聞社) 昭和56年

『宮城の自然をたずねて』 日曜の地学 18

 竹内貞子編著 築地書館 1991年

第4章 奥羽山脈(2)に栗駒火山の生い立ちの解説があります。中央コースと世界谷地のガイドがあり、地学の解説が中心でユニークです。

『栗駒山』

 佐藤 貢 宝文堂 1994年

『一関の自然を訪ねて』

 「一関の自然」刊行委員会 一関プリント社 平成6年

『栗駒山の四季』

 高橋亭夫 岩手日報社 平成7年

『栗駒山の高山植物』

小鴨鳴秋 菅原道雄編 創栄出版 平成12年

ホームページをみて下さっている、駒ヶ岳研究会の方から『栗駒山の高山植物』小鴨鳴秋(創栄出版2000/9)を教えて頂いた。早速、往復はがきで花巻の菅原さんに問い合わせると、丁寧なご返事があった。

オリジナルは昭和35年であるから、当時の栗駒山の概念図は貴重であり、瑞山コースに記載のある中小屋はこの頃にはあったのだろうか。植生の記述も詳しく、現在との比較も面白いかもしれない。
以下は、岩手日報の紹介の抜粋。

『「衣川村出身で詩歌誌「蝶」を主宰するなど活躍しながら早世した詩人の小鴨鳴秋(本名小形雄之助、1916-1961)の小冊子「栗駒山の高山植物」が、花巻市に住む教え子の手によって四十年ぶりに再発行された。肺結核を病み、窮乏生活と闘いながら、詩や歌などを送り出す一方、岩手、宮城、秋田の三県にまたがる栗駒山(須川岳)に登り、足で調べた高山植物を記録するなど、改めて多彩な才能を浮き彫りにしている。
栗駒山の高山植物」を再発行したのは、花巻市石神町八の五、元教員菅原道雄さん。小鴨が昭和三十五年にガリ版刷りで発行した小冊子が、A5判、六十四ページの本によみがえった。』

『栗駒山の自然を訪ねて』

 「一関の自然」刊行委員会 一関プリント社 平成10年

一関労山のホームページで紹介していたものだが、通常の出版ルートにはのっていないのだろう。知人に一関市の書店で購入して貰った。
植物、昆虫の写真がきれいだ。p.10の北東面から見た栗駒山の写真は、裏沢湿原などがはっきり見えていい。ただ、北奥の滝が地形図どおりの位置の、しょうもない流れの写真になっている。

3. 栗駒山の歴史・その他

『栗原の文化財』

 栗原郡文化財保護委員連絡協議会 昭和45年

『栗駒物語』

栗駒町史談会 昭和49年

『栗原町の文化財』

 宮城県栗駒町教育委員会 昭和61年

栗駒を調べていたときに県図書館の蔵書をコピーしていた『栗駒町の文化財』は羽後岐街道調査が載っている。これもずっと探していたが久しぶりに訪れた仙台の万葉堂でやっと入手できた。

『写真記録集 一関の年輪』

一関の年輪刊行委員会 1990年

須川温泉を中心に5頁にわたって戦前から戦後の須川登山の写真を載せている。 唯一の登山口だった瑞山口が賑わっている写真や、龍泉ヶ原を多くのハイカーが歩いている写真もある。

『写真記録集 一関の年輪Ⅱ 20世紀の一関』

一関の年輪刊行委員会 1990年

昭和十年代の須川温泉の絵葉書や、真湯温泉の写真を掲載。

『白鳥省吾のふるさと逍遥』

編集「白鳥省吾のふるさと逍遥」編集委員会 白鳥ナヲエ 平成12年

"y-sato"さんの掲示板で話題になっていたので購入。詩歌に縁がない私だが、往時の築館の様子や駒の湯、須川温泉の紀行が面白かった。

『磐井川』

上野霄里 行動社 昭和45年

特に栗駒山のことを書いている訳ではないが、付図として磐井川全域図が付いていて、瑞山から須川までの登山コース途中に中小屋が記載されている。

『新編花山物語 社会科副読本』

花山小学校社会科研究部

『須川・本寺風土記』

 編集 一関市立本寺小学校 岩手日日新聞社

『秋田県文化財調査報告書 第164集 須川街道』 (コピー)

 秋田県教育委員会 1987年3月

『岩手県文化財調査報告書 第42集 院内街道』 (コピー)

 岩手県教育委員会 昭和55年3月31日

『栗駒山』 (五万分ノ一地形図)

 日本帝国陸地測量部 大正5年 (大正2年測図)

『栗駒山』 (五万分ノ一地形図)

 地理調査所 昭和21年11月25日

『栗駒山紀行』(写真コピー)

 上遠野秀宣 写本

江戸末期、栗原郡大川口邑の上遠野(カドウノ)秀宣は1862年に駒形根神社に参詣したときの記録。挿入された7葉の概念図には当時の地名が詳細に書き込まれている。栗駒山全景縮図では雪形駒の現れる1573m峰をオコマカタケ、栗駒山頂1627.7mを大日嶽とし、虚空蔵タケと須川タケも記載している。

『須川温泉記』(コピー)

 高平眞藤 明治25年8月

『仙台との交易をかたる』(コピー)

 皆瀬村中央公民館 [編] 平成7年2月1日

"y-sato"さんのHPで紹介されていたので、直接メールで問い合わせたら、後日、館長さんから丁寧なお手紙と一緒にコピーを送って頂いた。国道389号線開通以前の花山~皆瀬村の強力による交易を口述記録したもの。


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