栗駒山をめぐる沢
インターネットなどない当時、いろいろな山岳会が地域踏査と称してホームグラウンドの山を登り、会報にまとめて交流のある山岳会で情報交換に利用していました。当時所属していた仙台の山岳会が、蔵王、二口、船形連峰の踏査に続く郷土の山として栗駒山を選択したのは自然な事でした。このno+eでは当時の記録をもとに振り返ってみたいと思います。
【注記】2008年6月14日に発生した岩手・宮城内陸地震により栗駒山の沢や林道は壊滅的な被害を受けました。当時のように山行には利用出来ないと思われますが、遡行当時の記録に基づいて記載しています。
1. はじめに
栗駒山は複数の火山活動から形成された山で、その基盤は一般的にグリーンタフと呼ばれる凝灰岩です。山はブナに覆われて、そこを流れる沢は明るくのびやかです。火山活動の境界が滝やゴルジュになって単調になりがちな沢のワンポイントになります。起点となる登山口には温泉があって、山の疲れを癒してくれるのも楽しみの一つです。
2. 栗駒北東面/磐井川流域の沢
A-1 湯尻沢
この沢の源頭は須川温泉の前を流れる温泉の排水溝なのですが、通常は板の下になっていて見ることはありません。冬期には板を外すので、スキーで行った折に入ったことがあります。沢登りの対象ではありませんが、会山行で入ったパーティの報告を見ると、中間がゴルジュになっていて泳いだとあります。
A-2 ゼッタ沢
ゼッタ沢は、他の栗駒の沢に較べるとやや渓相の異なった沢です。その理由は、栗駒火山の最後期の火山活動の影響をうけているためで、剣岳周辺の火山活動によって生じた火砕流が、頻繁にこの谷を埋めたものと考えられます。この痕跡が、地形図上のガレ記号となって現れています。比較的最近では、昭和19年11月20日、剣岳南東にあった湿原が突然吹き飛ばされ、昭和湖が出来ました。この2日後、下流の一関市では磐井川が濁り、多数の魚類が死んでいます。この時の噴出泥土はゼッタ沢を流れたに違いありません。
国道342号線に架かる須川橋から磐井川本流に降りましたが、今は車を停めるところが閉鎖されているみたいです。出合いに露出した集塊岩には、炭化した木が埋まっていてるのが観察されます。ポイントは節理状の12メートル程の滝で、ロープを付けて右岸から登りました。登山道に出るので藪漕ぎはありません。酸性が強そうなので、あとで念入りに装備を水洗いしました。
A-3 三途ノ川
この三途ノ川は、栗駒山北面の磐井川本流の標高1000m付近で左岸から入る沢です。本流から別れてすぐ、1050~1100m付近に大きな滝を懸けています。本流の北奥ノ滝と同じく栗駒山の溶岩流末端に懸かる滝です。標高1210m付近で笊森から須川温泉に続く登山道に出ます。
三途ノ川の出合いからは「鬼姫ノ滝」と呼ばれる大滝が見えます。滝は3段にわかれており、下段は釜を持った6mの直瀑、中段は30×50mの斜暴で、上段はまた釜を持った8mの直暴です。下段は左岸から簡単に捲き、傾斜の緩い中段は左岸を中間部まで行きます。明瞭な斜めの節理が走っていて、右岸へ渡ると大きな階段状の岩が続きます。上段は周囲が垂直な岩なので右岸から巻きました。最後は登山道を越えて硫黄ヶ原の湿原に寄って帰ります。
A-4 磐井川本流
磐井川本流は自分の新人訓練を含めて3回程登っています。国道342号線に架かる須川橋から入りましたが、森林生態系保護区域にしてされてから駐車スペースは軒並み閉鎖されているのが少し腹立たしいです。沢の様相は来るたびに激変していて、自然の驚異を感じます。
三途ノ川出合から本流をすこし入ると直角に折れ、「く」の字状に6m程の滝が懸かっています。なんとも水量が多く、左側の側壁を確保してもらって登った記憶があります。あとは北奥の滝まで悪いところはなく、この滝も巻き道が付いていました。ただし、1/25,000地形図の記載が間違っていて、滝はずっと下の方にあります。
A-5 磐井川本流左俣
この左俣は、笊森避難小屋の北西に伸びるC1399mピークの尾根にある湿原を見たくて入りました。特になにもない沢ですが、詰めは湿原にはなっておらず草原で、たいした藪漕ぎもなく笊森避難小屋にでました。
A-6 烏帽子山ヒバ沢
国道342号線に架かる桧沢橋から烏帽子山に登るのに使いました。特に問題になるような滝もなく頂上を往復しましたが、思ったより尾根の下降に時間が掛かりました。
A-7 烏帽子山カラホリ沢
烏帽子山に登るのに東面にあるカラホリ沢に入ってみましたが、下部は砂防ダムで大きな滝が一つありました。上部が雪渓で埋まり、尾根に逃げたものの烏帽子山の東面は密藪とスラブで登れそうにありませんでした。
A-8 一ッ石沢
下流部は堰堤とゴーロで単調ですが、ナメが現れるとその先がゴルジュになっています。15m滝が登れずに大きく高巻いくと、左から湿原に続く支流が入り、石滑沢と勝手に名前をつけました。右俣を分けて、最後は笊森と笊森避難小屋の間の草原に抜けます。
A-8' 一ッ石沢右俣
東側の一ツ石沢右俣の支沢から烏帽子山に登るつもりでいたら、目的の支沢は予想していた場所よりずっと下流にあったため、結局この右俣をつめることになりました。最後に3時間の灌木帯のヤブ漕ぎがあったのですが、小湿原を見つけたり旧噴火口の写真を撮ることが出来たのは収穫でした。
A-9 西桂沢
あまり難しそうではないので後回しにしていて、新入会員を連れて登った沢です。適度に登れる滝があってちょうど良かったのですが、最後の詰めを間違えました。笊森湿原に出るつもりが登り過ぎて、結構な藪漕ぎでした。
A-10 東桂沢
瑞山コース沿いの沢で、面白そうではないのでパス。
A-11 産女川
産女川は栗駒山を代表する沢でした。たぶん『沢登りの本』(岩崎元朗, 白水社,1983)で紹介されていたからかと思います。2008年の岩手・宮城内陸地震で大きく崩壊し、Google Mapで見ると下流部で左岸が大きく崩れて堰止湖が見えます。また、瑞山コースも廃道になっているようで、笊森避難小屋から残っている登山道を下って沢に下降する他に入渓する方法はないようです。 何回か登りましたが、笊森避難小屋の夜は快適でした。
真湯温泉から東桂沢林道を車で入り、産女川橋から入渓します。最初は登れる小滝が連続します。8m+8mの釜を持った滝を登り、続く20m滝を巻くか左岸を直登します。しばらく河原が続いて、奥まった12m滝の左岸を空身で登って後続を確保しました。そこから上流は明るく開けるので、登れない滝は簡単に巻けます。
帰路はC907mピークのある大地の池を目指して探索し、なかなか見つからないので仲間内ではロプノールと呼んでいました。3回目にやっとたどり着きました。そのまま下ると産女川橋に降ります。
3. 栗駒南東面/三ノ迫川流域
B-1 ドゾウ沢
この沢は2008年の岩手・宮城内陸地震で上部が崩壊し、土石流が駒の湯を崩壊する被害がでました。C1285mピーク付近に池塘のある湿原があります。
B-2 新湯沢
東栗駒山に突き上げる沢です。会報に載った記録を見ると岩峰があるようですが、沢登りの対象ではありません。
B-3 御沢
これも栗駒山と東栗駒山の間の登山道にでる沢です。同じく会報に載った記録をみると上部は湿原になっているようです。今は登山道にロープが張ってあるかもしれないので、見つかるとクレームが付きそうですね。
4. 栗駒南西面/一ノ迫川流域
C-1 大地沢
以前は川原小屋沢林道を出合いまで車で入れました。35mの大地滝は迫力があります。右岸に巻き道があるらしいですが未確認です。滝の右側を中段まで登って、そこからロープを付けて水際を登った記憶があります。体が外に出るのでちょっと怖いですが、手掛かりは豊富にありました。上流はナメの連続で明るい沢です。
登山道(羽後岐街道)が横断し、その上流は平凡で御室の登山道に出ます。
C-2 小桧沢
割り当てが回って来なかったので登っていませんが、会報の記録を見ると中間に15m滝があり暫くは両岸が切り立った壁になっているようです。最後は湯浜温泉から御室に続く登山道の草原に出ます。
C-3 腰抜沢
川原小屋沢林道の出合には堰堤が出釆ていて、「平成4年度、二階鞍沢谷止」と書かれたプレートが埋め込まれています。営林局がこの沢を二階鞍沢とした理由に興味がわきます。この上流C880m付近を横切る登山道は羽後岐街道と呼ばれていましたが、その里程に「二階倉」という地名があったからです。具体的な場所は不明です。
下流は平凡でC700m付近で沢床が凝灰岩から安山岩に変わる滝があります。ほんの5m位の滝ですが、この上流はナメが続いています。最後は大きな金属管に沢が吸い込まれ、小桧沢林道に出ます。ポツンと残ったネズコ (クロベ) の前で記念写真を撮りました。その後、この少し下に千年クロベと呼ばれるネズコが有名になりますが、この時は知りませんでした。
沢登りとしては不満が残る沢です。
C-4 相ノ沢
相ノ沢は秘湯として全国的に有名になった湯ノ倉温泉と湯浜温泉の間で一迫川に合流しています。しかし、湯ノ倉温泉は2008年の岩手・宮城内陸地震で水没してしまいます。
露天風呂の排水口のようなところを歩いて川に入り、しばらくして沢がS字状に蛇行すると、突然15m程の滝があらわれました。突然というのは地図上に書かれてないためで、川の水量が多く迫力があります。傾斜のゆるい左岸を大きく巻いて上に出ます。相ノ沢出合からすぐゴルジュになり、ここを過ぎると平凡な沢になります。栗駒南西面の標高 800~850mに位置する造瀑帯に約25mはある大きな滝があります。全体に崩壊しかかった滝は美しくはありません。晩秋だったのでナメコやムキタケがたくさん採れました。
C-5 白桧沢
沢登りの対象ではないので登っていません。
C-6 麝香熊沢右俣
何度か新人を連れて行った沢です。難しいところはないですが、変化に富んだ明るい沢です。
赤沢を分けるとちょっとしたゴルジュ帯に着きます。最初の釜が大きく左岸をへつり、滝を越えてあとの二つの釜を捲くと、直径60cm程のものを筆頭にポットホールがいくつかある。 ここから暫く単調な沢になります。
上部は道路のようなナメが始まり、小滝を懸けながら暫く続きます。ナメを抜けたところで両岸から支沢が入ってくると現在地が C1239m付近とわかる。両岸がひらけ、湿原でもありそうな雰囲気になり、適当なところを駆け上がると小さな湿原があります。源頭にもヒナザクラが咲く草原がありました。
C-7 麝香熊沢左俣
C950m付近で1:1に分かれる左俣です。上部に湿原があります。
C-8 赤沢
赤沢湿原に行くついでに稜線まで行ってしまった沢です。湿原はカヤとウラジロヨウラクなどの灌木にすっかり占領された感じです。上部に気持ちのいい草原がありますが、秣岳と御駒ケ岳の間の鞍部に出るまで1時間の藪漕ぎがあるので、遡行価値はないでしょう。
5. 秣岳西面/皆瀬川流域
D-1 田代沢
地図を見るとこの国道が通る C700m~730m付近はコンターがずいぶん緩んでいて、田代沼や大きな凹地が記載されています。この平坦なところを流れる田代沢はヤブで道路からは見えず、橋もU字のブロックを伏せただけなので、特に注意しなければいつの間にか通り過ぎてしまうような沢です。
暗い沢が開けると正面に約20mの滝が現れて、やや胸を張ったような上部から白い飛沫が散っていてきれいです。高巻きのルートは右手のブッシュが上まで続いています。その後は特筆するようなことはありませんが、最後は秣岳から続く草原の末端にある湿原に出ます。二段になったその湿原は天国…でした。
D-2 板井沢
板井沢は秣岳の西面から皆瀬川に注いでいる沢です。皆瀬川の出合の滝は立派ですが、 中間部を国道398号線が横断しているので踏み跡を辿って沢に降ります。
途中滝がいくつか出てきますがいずれも難しくなく、最後は30分程の藪漕ぎで登山道に出ました。このときは秣岳山頂から林道に続く登山道を戻りました。
6. 御駒ケ岳北面/成瀬川流域
ここは剣山から御駒ケ岳~秣岳の旧噴火口にあたる地形を流れる沢で、沢登りというよりは湿原探索で訪れる沢です。湿原については以下のnoteに書きました。
E-1 小仁郷沢~龍泉ヶ原
栗駒山で一番大きな湿原である龍泉ヶ原から流れる沢です。途中、ハート形の池がある湿原などを巡って飛び出す龍泉ヶ原は感動ものですが、おそらく今は立ち入りが禁止されていると思います。
E-2 仁郷沢
ここも沢というよりは、3つに分かれる支流それぞれの湿原を訪れるアプローチでしょう。地竹と呼ばれる根曲がり竹のタケノコを採る人が多く入っています。
E-3 赤川
会山行で下降して支流を登り返したパーティの報告がありましたが、特に変わったところはないようです。須川湖周辺の湿原を探索するアプローチでしょう。
7. あとがき
所属していた山岳会で栗駒の地域踏査を始めることになりましたが、この頃の会はそれまでの主力会員が抜けてジリ貧の状態だったと思います。しかし、新しい人が何人か入り、栗駒の未知の沢に入るには好都合でした。栗駒の沢はゴルジュや滝などの悪場があっても短時間で巻けるし、予想外の湿原を見つけたり興味が尽きませんでした。それに山行記録を概念図に落とし込むのが面白く、それを載せる会報作りに多く時間を割く始末でした。ここに載せた概念図もそのときのものです。
地域踏査をまとめた会報を出した後は栗駒山の沢に入ることはなくなりましたが、2008年の岩手・宮城北部地震で栗駒山の地形やアプローチは激変しました。個々の記録は意味のないものになりましたが、一つにまとめることで当時を懐かしんでみようとnoteに書いてみました。
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