見出し画像

虎毛山塊~栗駒山~焼石岳積雪期縦走

栗駒山周辺の3回の積雪期縦走について、当時の写真をもとにno+e用に構成したものです。



1. 高松岳~須金岳

1988年12月29日~1989年1月1日

この年の正月合宿は皆瀬川流域をかこむ虎毛山塊でした。私達のパーティは秋田県側の秋ノ宮温泉から高松岳に登り、虎毛山から宮城県側の須金岳へと県境を越える3泊4日の日程でした。ここは虎毛山から須金岳への広い稜線ポイントですが、視界が効いたのでラッキーでした。

高松岳~須金岳縦走概念図
C1177.1mピーク付近から虎毛山 (1988.12.31)
虎毛山~須金岳 (1989.1.1)

虎毛山から県境の須金岳の稜線は広いので、視界がないと難しいです。私たちは偵察山行で虎毛山避難小屋に旗竿を大量にデポしておきました。

須金岳~竹ノ子森、典型的な雪食地形 (1989.1.1)

積雪期の縦走では雪庇の崩壊や踏抜きが嫌なところです。これは足元から割れたものですが、笑い話で済んで良かったです。

雪庇が崩壊 (1989.1.1)

山中でもう一泊する予定でしたが、下りなので行程がはかどりました。竹ノ子森から主稜線を離れ清水倉森経由で松根の分校跡に下山しました。暗くなったバス停に、宮城交通のバスが時刻通りやってきたのにちょっと感動しました。

2. 須金岳~栗駒山縦走

1989年12月29日~1990年1月2日

昨年度の続きで須金岳から栗駒山まで縦走すること なりました。ポイントは栗駒山の山越えでした。

須金岳~栗駒山縦走概念図

第一日目は須金岳直下まで進んで泊まりました。この先痩せ尾根で、適当な幕営地がないので妥当な判断です。虎毛山の顕著な尾根は春川本谷と万滝沢の間で恰好良いです。この写真を見て問合せを貰ったことがありますが、その後登ったのか不明です。

須金岳から虎毛山 (1989.12.30)
竹ノ子森から須金岳 (1989.12.30)
花山峠までもうすぐ (1989.12.31)

花山峠で温湯から登ってきたパーティと合流しました。湯浜温泉には事前に計画書を送り旧館を使わせて頂きました。温泉もそうですが、水道から温水が出てくるのに感激です。

湯浜温泉 (1989.12.31)

翌日、湯浜温泉を出発するときは小雪でブナ林のラッセルは快調でしたが、樹林帯を抜けると風雪とホワイトアウトでした。ハイマツ帯なのでワカンの踏抜きもあって疲労はピークです。御沢に泊まって同じ日に循環する別パーティのトレースは全く残っていませんでした。

虚空蔵山~御駒ヶ岳 (1990.1.1)

ようやく栗駒山の山頂を越えると東斜面はこの風で巨大な吹き溜まりになっていました。下りとはいえ膝上までのラッセルで疲れた足にはこたえ ます。薄暗くなりはじめた17時ちょうどにイワカガミ平に着きました。この日はイワカガミ平でテント泊、翌日仙台に戻りました。

3. 栗駒山~焼石岳縦走

1990年3月21日~26日

山岳会のI先輩の計画にのって、いこいの村から栗駒山を越えて焼石岳の経塚山までの6日間の山行でした。『やまびと31号』にI先輩の記録と独特の概念図が掲載されています。

栃ヶ森から遠く栗駒山 (1990.3.22)
栃ヶ森付近のブナ林 (1990.3.22)
栃ヶ森を越えた幕場、2泊目 (1990.3.22)
東山1070m peakにて (1990.3.23)
大森山トンネル付近 (1990.3.25)
胆沢川源頭から焼石岳 (1990.3.25)
焼石岳山頂 (1990.3.25)

フィルム の予備を忘れたので写真はここまでです。焼石岳山頂から金明水避難小屋までは 吹きさらしの猛烈な風で、体を支えるストックが折れたら転がり落ちる恐怖を感じました。翌日、経塚山まで進んで尿前に下山しました。

【付記】

このときの記録を含めてI先輩の積雪期縦走記録の集大成としてやまびと別冊にまとめられています。

『やまびと別冊 積雪期縦走記録集 玲瓏』
 仙台YMCA山岳会 平成22年12月12日

第Ⅰ章 仙台山脈(蔵王連峰~笹谷峠~関山峠~船形山)
第Ⅱ章 後仙台山脈(翁峠~禿岳~虎毛山~栗駒山)
第Ⅲ章 奥羽山脈北部(栗駒山~焼石連峰、真昼山地~仙岩峠~八幡平)
第Ⅳ章 安達太良・吾妻連峰(安達太良山~土湯峠~西吾妻山)
第Ⅴ章 出羽山地(神室山~鳥海山、葉山~月山、金峰山~摩耶山)

I先輩は、複数回のヒマラヤを含めて日本各地にも気の遠くなるような足跡を残しています。下の写真はご一緒したImja Tse(6,165 m)山頂の写真で、左端がI先輩、右から2人目が私。

Imja Tse(6,165m) in Nepal (Nov.1991)


戻る

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?