自分が知っている「パソコン」の歴史
数年前に作ったらしいこんなタイトルのメモが出てきました。
せっかくなので自分の覚えとしてnoteすることに・・・・
★もともとラジヲ少年だったので半田付けの作業などの「組み立てる」ことは何でも興味がありました。
★30才台にLSIが登場し世の中にポケコンという物が誕生しこれは半田付けはいらないが,組み立てるという意味ではプログラムも同じという認識ですぐに遊び始めました。
ここから本題
遡って20歳台のころそれまでディスクリートだった論理回路がIC化され,モトローラやインテル・テキサスインスツルメンツと言ったところからICを更に集合したLSIが発売されて,4004を基板に組んでトグルスイッチで4ビットの2進数をステップ毎に記憶させるという作業から始まったマイコンが,更に進んでNECのTK-80や富士通のLKIT-16など(キット)が登場した,価格は個人でやっと手の届くという程の物でした,これのプログラムはマシン語をステップ毎に16進の数字キーで入力し記憶させていくとできあがる物ですが,カセットテープに記憶させることで電源を落としても再開できる画期的な物でした。
その後マイコンが進化して,メインフレームのように数字だけでは無いアルファベットの並んだASCIIキーボードとグリーンモニタをつなぐ事が出来るものが登場し,ROMが搭載されたことによりプログラムがベーシックという少しだけ自然言語に近い物になり,これは「パーソナルなコンピュータじゃないか!」となって自然にパソコンと呼ばれるようになりました。
メインフレームではフォートランやコボルで組んでコンパイルしていたプログラムが,パソコンのベーシックではインタープリタで実行するためデバックも簡単になり一気に普及しました。
と言う事で,
★何のためにパソコンを買ったのか・その1は「ベーシックでプログラムをするため」でした。
ただ,自分でプログラムを組まなくても世の中には沢山の実用的な物が出てくるようになり,AppleDOSの上で動くビジカルク・ワードスターなど実用的なソフトが登場してそれらが手に入るようになるとOSそのものに興味がシフトし,次の目的が出来ました。
★その2「AppleDOSからCP/MやMS-DOSを理解するため」と変化しました。
Appleのペリフェラルスロットに増設するCP/M基盤が登場しAppleでCP/Mが動くという混沌の世界になりその後ご多分に漏れずNECのPC-9801を入手してMS-DOSを走らせるようになったと言う次第。
Appleに使われているモトローラのCPU68000とCP/MやMS-DOSが動くインテル系のCPUは全く互換が無い為CP/MはApple][では動かないので8088を搭載した増設基盤を使ったのです。
次第にパソコンが業務にも使える物だと判ってくると,頭のいい人は業務用のプログラムを販売するようになりその中でも大ヒットしたのはApple社が世に出したビジカルクという表計算です,これは手作業でしか出来なかった縦横の集計計算を一瞬で処理してくれるという画期的な物でしたので。
ワードスターもヒットしましたね,タイプライターと違って印刷物に近いワードラップや配置の平均化などパソコンならではの仕事をしてくれました。
その頃のパソコンはオペレーティングシステムもベーシックに組み込まれていたため互いの互換性が無くアップルのプログラムはアップルでしか動かずアップルの売れる原動力となりました。
ビジカルクはその後マジカルクに進歩し,フロッピーディスクを搭載できるApple][ではAPPLE-DOSとbasicが分離し,IBM-PCではCP/Mとそれをマイクロソフトが発展させたMS-DOSになり,日本のパソコンメーカーもMS-DOSを搭載するようになりましたが,特殊な仕様のマシンばかりでどうしても機械語やROMを直接たたかないと動かないプログラムもあり各パソコンはそれぞれ自社用のソフトを出していました。
IBMPC-ATは,DOS/Vと言う日本語に対応したDOSをリリースしてIBM互換機ではそのまま動くという画期的な方式が登場すると日本のメーカーもIBM-AT互換機に移行し独りよがりなマシンは淘汰されました。
早くからAppleではキャラクターベースからGUIに移行したマッキントッシュをリリースしていましたが,マイクロソフトがWindowsというGUIを作りMS-DOSに乗せて動くようになりヴァージョン3.1の頃からWindowsが注目され,遂にMS-DOSを完全に隠したWindows95がリリースされると,それまで交互動作だった物が本当のマルチタスクになり使いやすさも向上し見かけもマッキントッシュに近づきました。
★その3「パソコン通信やアマチュア無線のパケット通信をする」ため。
パソコンというのはスタンドアローンが当たり前で,他のパソコンと接続して通信をすると言うことは有りませんでしたが,拠点にサーバーを置いてみんながそれに接続をしてやりとりをするというパソコン通信が登場しました。
主に2点間通信を目的として音響カップラー(75bps)は以前から有ったのですが,直接電話線に接続して使う300bpsのモデムが登場しパソコン通信という不特定多数の相手とサーバーを通して通信するようになりました。
この頃は市内通話3分10円なので通信量と関係なくあれよあれよと通話代がのしかかっていました,それでも一度通話を切断すると話し中が続き次は何時つながるのか判らないと,繋ぎっぱなしにする豪の者も居たと言うことです。
有線のパソコン通信は同時に送受信できる為信号を垂れ流しても問題ないのですが,無線の場合は交互に送受信する為信号を纏めるという方式になりパケットという纏めた物をやりとりするパケット通信になりました。
パソコン通信はサーバーがあってそれにクライアントはアクセスするのですが,パケット通信はサーバーが無いので遠くと通信するために中継するようになり中継の為のプロトコルが出来ました。これがやがて米軍によって開発されたサーバー同士を接続するプロトコルTCP/IPを使うように統一され,無線と有線の堺も次第に無くなり,有線の世界もパソコン通信からすべてのネットワークを繋ぐインターネットに移行していきました。
★その4「インターネットを楽しむため」が現在の状態です。
ホームページという概念(HTTP)・バイナリーデータファイル交換(FTP)・テキストデータ交換(SMTP)・などのプロトコルがユーザーの手によって確立され,次第にインターネットが普及すると次々に新しい技術が登場し発展しました。
アマチュア無線の人たちの努力によって今の移動体通信の普及やTCP/IPの普及を目の当たりに出来ることがささやかな喜びです。