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Base Ball Bear『Grape EP』

今年一月の『ポラリス EP』に続き、9月15日に『Grape EP』が配信リリースされた。フィジカルでの販売は、ツアー会場にて行われるということで、音源のリリース方法及び形態のこれからの在り方ついて試行錯誤を行ってる最中だと言える。
さて本作だが、前作以上に三人によるバンドアンサンブルが密になり機能しているように聞こえるし、前作とは違う色合いを一曲単位、また全体を通して示しているように思えた。以下にまず一曲ずつの感想を、そして総評として全体の感想をまとめたい。

1.いまは僕の目を見て

本作のリードトラック。溌溂かつジャキジャキとしたギターリフで幕を開ける爽快な一曲。清流で演奏しているMVもその爽快さ、マイナスイオン感に一役買っていると言えるのではないか。
彼らの代表曲の一つの「short hair」との類似性に関してTwitterで語られているのを多く見かける。確かに曲調に近いものがあるが、よりギターを鳴らす量を減らし(鳴らすポイントを絞り)リズム隊のみが鳴っているパートがある点や、小出(以下各メンバー敬称略)の歌唱が声を張らないようなメロディーラインになっている点が「short hair」とは異なる点だと言えよう。

で、歌詞に関しては言いたい項目が多い(けど、それぞれ分量はまちまち)ので、3つのポイントに分けて述べていきたい。

①意味・想いの容器としての言葉の不完全性

小出本人もインスタグラムのストーリーでの質問で答えているが、歌い出しのフレーズ「言葉は穴の開いた軽い砂袋さ 君に届ける前にかなりこぼれてしまう」といフレーズは、この曲のキモの一つだ。
この曲では、「言葉」を「砂袋」に、「『君』に伝えたい想い・情報・意味」を「砂」に例えている。私たちが使っている「言葉」とは、単なる記号にしか過ぎない。例えば「犬」という言葉を用いた場合、話し手が/受け手が想像する「犬」の姿が同じになるためには、どれだけの言葉を使えばいいのだろう。どれだけの言葉を使っても話し手が伝えたい「犬」の姿の情報が、想いがこぼれ落ちて行ってしまうことだろう。「『正しく』よりも『間違わずに』伝えることに慎重になる 手ごたえばかりを求めて言葉を重ね続ける」とは、まさにこのトライを描いた一節になっている。
しかし、不完全が故に、たとえ一端だとしてもその想いが届くことの素晴らしさ、喜びというのはかけがえのないものである。それは、「心と心繋ぐケーブルがあるなら この悩みは無くなってただ喜びも失せてく」というところに表されている。
そして、「僕」はこの言葉の不完全性を感じて、想いを思い通りに届けられぬまま届けて「君」と「僕」の関係がどうなってしまうだろうか、と逡巡と悩みに喘いでる一方、「君」は「ほほう」だったり「食べ物が美味しいじゃん」といった、剥き出しの言葉を「僕」にぶつけている。それを受けて「僕」は「季節も超えられる」と大きく心を動かされている。こういった「君」を超越的な存在として描く筆致は、小出がこれまでが行ってきた「君」像と重なってくるものだと言えよう。言葉という容器が多くのの「砂」をこぼし得るものだとしても、それとは関係なく一言一言で自然に「僕」の心を揺るがす「君」の存在。だからこそ、「僕」は悩むのであって…と、言葉の不完全性ともどかしさ、だからこそ伝わる何かの素晴らしさを描いているのだと思った。

②言葉を用いるコミュニケーションの難しさ

小出本人がLINE LIVEで言及した点であり、①と関係が深いところがあるが、この曲の詞は言葉を用いるコミュニケーションの難しさを描いたものだと言える。そして、そのコミュニケーションというのは、男女に限ったものとしては描かれていない。確かに、ベボベのこれまでのディスコグラフィーを振り返れば、そう考える方が自然だろうが、この一曲だけを見ると、「君」が女性であると限定できる要素はあまりに少ない。広く開かれた関係性における問題を扱った歌詞という評価も可能ではないか。
先日、Official髭男dism「Pretender」のクィア的視点での解釈を述べた記事が出たが、この「いまは僕の目を見て」はMVまで絡めた考察・解釈はし得ないものの、遠からずの位置付けが可能な歌詞になっているのではないかと思った。

③タイトルと、視線の移動
タイトルの「いまは僕の目を見て」の「て」は、「~て、…する(してほしい)」の接続助詞としての用法も考えられるが、ここでは相手の動作を促す際に用いる「~して(くれないか)」的な用法として考える。
そうするとこのフレーズは、「『君』の方を見ている『僕』が、こちらを見ていない『君』に対して呼びかける言葉」として機能していることになる。では、「君」の視線はどこを向いているか。
それは「フリーハンドで飛行機雲が秋空を割ってく 横を見れば見上げた君が感心して「ほほう」なんて言ってる」「焼却炉のぼる煙がわけもなく寂しい」からうかがえるが「君」の視線は空の方を向いているのである。
空を向いている「君」を「いまは僕の目を見て」と呼びかけて、一番と同じ歌詞によるサビに入る。言葉は同じであるがしかし、一番とは「君」と「僕」の視線の在り方が異なる。一番では空を向いている「君」に対しての想いであるのに対し、ラストのサビでは「君」と「僕」が向き合っている、お互いがお互いの目を見ている状態で告げようとしている想いを記したものとなっている。単純に同じ歌詞を並べただけではなく、このような視線の変化による心情・関係の変化があるのではないかと思った。


2.セプテンバー・ステップス


この曲は堀之内が作曲に参加している(彼のドラムのパターン?を骨格に作り始めた?)ということで、これまでにないリズムの面白みを感じることができる。また、歌詞というか歌い回しの面では「もうタッタッタッ…と去ってく夏」「熱かったったった(Spotify表示準拠)」「永遠 遠 遠」などといったように、リズムに合わせるように言葉のリフレインが多い。
ちょうど9/8放送の「関ジャム」で広末涼子の「大スキ!」がピックアップされた(公式でMVアップしてくれ…)が、そのサビでのリフレイン、「ッ」の意識的な使い方というものが思い出されずにはいられなかった。

最初はキメの多さなどから彼らの「image club」を思い出したりもしたが、うん、、違うね。。
そしてタイトルであるが、「ステップス」というように複数形で表されている。その理由としては、まず、この歌詞の舞台となっている月、「9月」が夏を代表とする7,8月と、秋を代表する10,11月との架橋、間となっていることが一つ。
そして、歌詞上の「君」と「僕」の関係が変化して行っている時でもあるからだと思った。歌詞の「聞きたくなんてなかった友達の親切で」という部分や、「やさしい君が心の奥で抱きしめてくれるけど」という部分から「君」と「僕」の関係が破綻して離れ離れになってしまったことがうかがえる。また、それは「君」が他の人へ心移りをしてしまったことに由来するのではないか?だから「幸せは君の色」と表しているのだと考えられる。
というように、歌詞で起こっていることとしては、かなり寂しさ・悲しさ募るハートブレイクだが、特徴的なリズムに乗せてある種軽やかに歌われるため、それほどウェットではないのが面白いところだとも思う。
最後のギターソロもこのストーリーを踏まえると「僕」の心に渦巻く激しい心情を表しているようにも聴こえる。

3.Summer Melt

タイトルの「melt」とは「溶ける」という意味だが、さてこの曲では何が溶けているのか。三点の「溶ける/溶け合う」ものがあるのではないかと思った。まず、初めに、「コーヒーの中の氷」が溶けている。これはもう何度も曲の中でリフレインされるので分かりきっている点でもあるが、氷が一定のペースで徐々に解けていくように楽器の音も刻まれていくことも注目したい点と言える。
続いて、「君」と「僕」が溶け合っている。この曲の中の二人は別れた後だということが冒頭の歌詞で分かるのだが、ここでいう「君」と「僕」の溶け合いというのは、相手の考えや行動が重なって自分のものとなっていくことを指している。「君に教えてもらったことだって僕の知識として育ってく君もそうかなってチクッとする」というところにそれが表されている。このような「君」と「僕」の溶け合いを強く肯定的に描いた曲として、TRICERATOPS「MILK & SUGAR」が挙げられる。

Yeah いま入れなかったね 紅茶にMilk & Sugar
僕の好みをいつしか受け入れてる君
その方がおいしいって思っての事か知んない
我が強い君だから もうすげぇ愛しいんだ
(中略)
Milk & Sugar ずっと僕ら 影響し合って
雨降ったって 風吹いたって 負けないくらい強く
君に僕が 僕に君が入ればデカいぜ 一人でいても一人じゃない
(中略)
君に僕が入って 僕に君が入って 一人でいても一人じゃない

トライセラからの影響というものは、この頃特に顕著(「逆バタフライエフェクト」がどうかんがえても「Fever」をバックボーンにもっている)であり、初めて小出らがコピーした曲が「ロケットに乗って」ということもあったりするが、歌詞にトライセラの(というより作詞の和田唱のだろうが)エッセンスを感じ取れたのは珍しいような気が…気がするだけかな?
最後に、「小出と関根の声」が溶けあっている。特に最後のサビのロングトーンの部分は二人の声が溶けあうように感じられる。終わりだからということも多分にあるだろうが、この二人の声の溶け合いに気づかせようとするがごとく、長めにとっているように聞こえる。
「そして氷は溶け続ける」での声のエコーも深くなったりするし、様々な「Melt」を聴き手に提供しているのだと思う。

4.Grape Juice

これまでの楽曲が、歌詞に大きな意味を求めていたのに対し、この曲は本人曰く「徹底的に無意味であろう」とした曲とのこと。とはいえ、現代の考える人小出祐介が忘我的な歌詞をやすやすと書けるかというと、そうではなかったのではないか、と思った。
まず、冒頭の「没入して踊る」やサビの「やばいギターやばいベースやばいドラムよ」の件は意味を排して爆音に身を委ねる姿が浮かべられるが、「頭の向こう岸で誰かが僕を見張る」とメタ的に自分を見つめる「誰か」=「僕自身」の存在が消えていないのである。だからこそ、「爆音で音楽浴びさせて」と語りの主体(歌詞状の「僕」)と要求する。それに合わせるかのように、ガーッとしたある種分かりやすい「ロックンロール」的な演奏による楽曲及びサビになっているのだが。のっけから爆音に乗せて踊る狂騒的な有様を描くのではなく、「爆音でいろんなメッセージやサムシングから解き放たれたがってる『僕』」を登場させているのである。
本当にこの一曲内で歌詞において「徹底的に無意味であろう」と思ったら、cali≠gariの「-踏-」や「散影」などのような意味性を排して音の並びの面白さ文字の並びの面白さに振り切った歌詞にすればいいのだが、そうしていない。しかし、改めて聞くにつけ、cali≠gariの石井秀仁作詞曲の「意味が無いその中で意味のある圧倒的見つめる」具合よ…。
ともかく!では、そうしない理由は何であるか、それはこの4曲を通したストーリーテリングを行いたかったのではないか。「いまは僕の目を見て」で「君」と結びつき、「セプテンバー・ステップス」で「君」と別れが生じ、「Summer Melt」で「君」との別れを振り返り「カラン」と音が生じて次へと向かおうとし、この曲でそのこびりついた記憶を爆音で何とか忘れてしまいたいとする様を描いている…とするのは、あまりにこじつけ過ぎかな?
正直、個人的には多様な表現によって情景や心のありよう、「君」と「僕」の間の機微を描く小出の歌詞が好きなので、この曲は「ウーム」と手塚治虫的な声を出してしまうのだけど、それこそライブだと映えそうだなと思ったりもした。

総評

前作『ポラリス EP』は三人のみの音で作るということを基調とした「三人映え」なEPとして挙げられていたが、その姿勢は今作にも引き継がれている。そして、前作で見せなかった側面を見せるような楽曲群になっていると言える。特に「Summer Melt」のような淡々とした曲は4人時代も含めこれまでのベボベにはなかったものであり、三人という少ない楽器構成だからこそ一層淡々とした感じが感じられるのではないかと思った。
また、前作では歌詞のテーマ的な関連性は見られなかった(1,3曲目が社会批判的なメッセージを内包していたが)が今作は全体を通してのストーリーテリングが行われているように読むことができ、その面でも面白みを持っているといえる。
三人での活動を重ね、ますますフレッシュかつ芳醇になっていってると思えるEPだった。

#ベボベ #BaseBallBear #Grape #音楽

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