見出し画像

言われてつらかった言葉の扱い方

カチンとくるのは、痛いところを突かれたせい。心の奥底まで柔らかくて、硬くなっていなければ、カチンと当たるところはない。

今日読んだアサーティブの本に書いてあった一節です。

例えば「可哀想ですね」と言われて「わかってくれる」と思う時もあれば、「可愛そうがられている・・・」とムッとすることもあります。

言葉にどう反応するかは、相手との関係性もありますが、自分の心のコンディションも大きな要因ですよね・・・。

相手も自分も大事にする「アサーティブ」なコミュニケーションでは、相手からの批判だけでなく、相手の意思とは関係なく、受け取る側が「痛い!」と思う言葉をかけられたら

反射的にカッとなって、反論したり、反抗してしまわず、黙り込むのでもなく、真摯に受け止めて気持ちを添えてこたえる

・・・のですが、疲れてヘトヘトな時、ミスして落ち込んでいるのに追い討ちをかけられた時、いつもなら痛くない言葉でさえ、痛く感じることがあります。

そういう時は、その言葉を手のひらサイズの箱に入れて保管しておきます。

少し元気になるまで待って、時間をおいても気になるようなら、箱からそっと取り出して、今ならどう受け取れるか、真摯に受け止めれるなら、今ならどう相手に対応するのか考えます。

小さくなったり、軽くなっていて、どうでも良くなればふっと吹き飛ばします。

というのも今、私も箱に入っている言葉をキープしています。

1週間ぐらい経ったので、職場からの帰り道に、そっと開けてみましたが、まだ・・・だめでした・笑

浦島太郎がもらったような宝箱から、煙がもくもく立ち上がるように、「知ったフリするな」とか「私じゃなくてあなたが間違ってるの!」とかじゃんじゃん出てくる、批判の言葉・・・!

まだ怒りが勝ってるな、と思ったので、痛かった言葉を箱に入れて、ぱたっとフタを閉めて戻しました。

心が痛くなる言葉を「箱に入れる」というイメージができると、その言葉でまた怒りで頭がいっぱいになることを、防ぐことができます。

その言葉を見ないふりしたり、怒りや痛みを感じないふりするなど、感情を押さえつけると、心の許容量がいっぱいいっぱいになって、大したことがないことで、ドッカーンと爆発したり、恨み節みたいなのが、身体からほとばしるので、「なんとなくいや〜な感じの人」になってしまいます。

箱に入れるというイメージは、自分を守るためにやっています。

心が元気な時に取り組めば良いのです。

親から10年以上前に言われた、年季が入った地雷のような言葉もまだ箱に入れています。

その言葉は、あちこちで言語化して、日に干しているので、箱の蓋を開けても扱えるようになってきました。

それでも、ふと思い出しては「この言葉は傷つくよね・・・」と丁寧に箱にしまっています。

家族の間での、コミュニケーション不全は根深いので、そう簡単ではありませんが、一旦保留することで痛みが少し軽くなったりすることもあります。

人間って、うまくできているなと思います。

心が硬直しないよう、柔らかくなるよう、面白いこと、感動すること、心地よいことに触れる時間をもっともっと増やそうと思います。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?