もっている人
父が手術をした。
二年以上前から「元気なうちにやっておいた方が良い」と言われていたものだが、コロナ禍などでタイミングを失っていた。
それを「今、やる!」と、父が急遽、決断したのだ。
本当は周りに内緒にして、コッソリ済ませようとしていたのだが、私には半年前くらいにバレていた。
認知症の母を一人にするわけにはいかないので、施設にお泊りをお願いするつもりでいたらしく、その間の怪しい動きに、私が気づいてしまったからだ。
「母さんがお泊まりに慣れてきてから、手術の日取りを決めようと思って」と、父は言った。
私は心の中で「逆だろ!」と突っ込んだ。
と同時に「私がそっちに行って面倒見るから、手術の日を決めてきて」と、即座に言った。
父は、私の中では、俗に言う「もっている人」。
昔から父は、理屈や根拠のないタイミングでいきなり動く時がある。
それは「予定」ではなく「決定」
その瞬間、周りにいる家族は巻き込まれるのでたまったもんじゃない。
しかし、それが笑ってしまうほど「結果往来」の状態になるのだ。
今回もそれに違いない。だから、乗っかった方が良い。
私も迷わなかった。
まとまった休みを取るために、年明けから仕事を詰め込んだ。
「いつも結果往来」になる、と言う事が、逆に「もしたしたら違う病気が見つかる切っ掛けになるのではないか?」という心配にも繋がったが、それは取り越し苦労だった。
予定通り、手術も無事に終わり、術後の経過も良好で、計画通りの日時で退院もした。
その間。私は認知症の母と二人きりの生活をした。
田舎にある実家には、年に数回、子供たちと遊びに行くが、そこには必ず父がいたので、こうして母と二人きりで生活をするのは30年ぶり。
お世話になっている病院の先生や訪問介護の方々とお会いする機会をもらった。
母と布団を並べて寝る機会をもらった。
毎日三食を共にし、今、母がどんな状況であるのかをしっかり確認できた。
声が枯れるほど、いっぱい母としゃべる機会をもらった。
庭にある百合の蕾が開いていくのを、母と観察する日々は、とてもゆっくりで、穏やかで。
日々に追われ、『こんなにも優しい時間があるんだ!』という事を忘れかけていた私は、大事な宝物を見つけた気分になった。
遊びに行くだけでは知り得ない大事な事を、たくさん知り、いっぱい体験した。
多分もう、母は覚えていないのだろうけど、私にとっては、とても、とても大事な時間となった。
手術となった父には申し訳ないが、こんな事でもなければ実現できない日々だった。
やはり、父は「もっている人」だ。
退院して来た父に、私は
「本当にありがとう」と言った。
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