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敬虔な聖女の館
CASA DI SANTA BRIGIDA カーサ・ディ・サンタ・ブリジダ
─ イタリア・ローマ ─
永遠の都ローマは、聖なる都でもある。
聖ペテロと聖パウロの時代から聖都ともいえるローマで多くの聖人が誕生している。
14世紀に生きたスウェーデンの聖ブリジダ(Santa Brigida スウェーデン語:ビルギッタBirgitta)もその一人。聖ブリジダは、スウェーデン南東部ウップランド地方の大土地所有者で地方の支配者の娘として生まれた。
13歳で地方領主と結婚し、8人の子供をもうけた。慈愛に満ちた生活を送り、信仰心も強く、夫の死後、スウェーデン王家の支援のもと、スウェーデン南部に修道会を立ち上げた。修道会の認可を求めてローマに向かい、ローマに長期滞在した。
ローマから当時教皇ウルバノ五世が滞在していたアヴィニヨンを訪れ、教皇にローマ帰還を促した。齢70にして聖地エルサレムを巡礼し、1373年にローマで亡くなった。
ローマで滞在していた館は、現在教会と修道院、宿泊施設になっている。
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聖ブリジダの館はローマの旧市街、教皇、枢機卿も排出したイタリアの名門家ファルネーゼ家の宮殿があるファルネーゼ広場に面している。
近くには生鮮野菜の屋台や食肉店が軒を並ぶ市が立つカンポ・ディ・フィオーリ広場があり、オペラ・トスカの舞台にもなった谷間の聖アンドレ教会、その先には観光のメッカでもあるナヴォーナ広場もある。
近くのヴィットリオ・エマヌエル二世大通りには6世紀末にローマの司教で、教皇ともなった聖大グレゴリオ建立の教会に起源を遡るキエザ・ヌォーヴァがある。
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聖ブリジダ教会堂の屋上からファルネーゼ広場が一望に見渡せる。
広場は16世紀にアレンサンドロ・ファルネーゼ枢機卿(後の教皇パウロ三世)が宮殿を築くためにこの地域を買い上げ、広場として整備した。
右手に修改築中のファルネーゼ宮殿が見える。現在フランス大使館として利用されている。屋上からヴァチカンの聖ペテロ大聖堂のドームも見える。
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ファルネーゼ広場に面した聖ブリジダ教会では修道女、信者たちが静謐な空間で敬虔に祈りを捧げているのをしばしば見かける。
初めて聖ブリジダの館を訪れた際には誤って教会の中に入ってしまい気まずい思いをした経験がある。宿泊施設の入り口は教会裏手の小路、モンセラット通り(Via di Monserrato)に面している。
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館内に入ると、一見落ち着いたプチ・ホテルのようなエントランス・ホールとレセプションがある。
ホテルの従業員はすべてシスターたちなので、襟を正さずにはいられない。部屋も小ぎれいで落ち着いた雰囲気で清潔なのは何よりだ。館の中には教会を含めると七つの祭壇があり、祈り、泊まるには最適な宿泊施設といえる。
ただし、宗教施設なので、静かに過ごすことと門限厳守は必須だ。
敬虔な女性信者さんにはお勧め。
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館内には、聖ブリジダと娘聖カテリーナの帰天の部屋を礼拝堂にした聖域がある。客室用の宿泊施設や修道院と聖域の間には、厳かで格調高い壁と扉で区切りがつけられている。聖域を訪問する際には、レセプションでシスターに申し出をしなければならない。
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聖ブリジダは夫が亡くなった後、聖年の前年1349年にローマへ向けてスウェーデンをあとにした。当時のローマは教皇も不在で荒廃した社会だった。
ファルネーゼ広場に面した家で何人かの信者と共同生活を送り、売春婦の更生に努め、ローマに来る巡礼者や学生を支援した。
当時、教皇がいたアヴィニヨンに赴き、ローマに戻ることを促し、聖地エルサレムまで巡礼し、ローマで1373年帰天した。聖ブリジダが帰天した部屋は改装され、礼拝堂となっている。
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聖カテリーナは聖ブリジダの次女として、1331年頃にスウェーデンのヴァドステナ(Vadstena)で生まれた。
少女時代に若くして結婚したが、貴族の夫の理解もあり純潔の誓いを立て、守った。1350年、母のあとを追うようにローマに来た。ローマ滞在中に夫の訃報が届き、それ以来篤い信仰生活を実践するようになった。
母聖ブリジダの死後、母が設立した聖なる救世主修道会を受け継ぎ、修道院を運営した。
1381年に聖カテリーナが没した部屋は、聖カテリーナに捧げた礼拝堂となっている。
CASA DI SANTA BRIGIDA
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Piazza Farnese 96 00186 Roma
宿泊施設入口:Via di Monserrato, 54
Tel 0039 06 688 925 96
brigida@brigidine.org
www.brigidine.org