
鹿に出会って回心した聖フーベルト
ベルギー東部リエージュ(Liege ドイツ語Lüttich)の最初の司教となった聖フーベルトは、8世紀にベルギー東部アルデンヌ(Ardenne)地方を宣教したことから「アルデンヌの使徒」と言われる。狩猟中に十字架を角に載せた鹿と遭遇し、回心。キリスト教の伝道に後半生を捧げ、ベルギー東部、オランダ南部の宣教に力を注いだ。狩猟の守護聖人で、記念日の11月3日、リエージュの聖ピエール(ペテロ)教区教会で特別ミサが行われた。

ドイツ国境に近いベルギー東部の中心都市リエージュは中世からベルギー、ドイツ、フランスなどを結ぶ交通の要地だった。ドイツから直接の列車もあり、フランクフルトから約2時間の列車の旅。リエージュは人口約20万の地方都市で、大きなホテルもなく、街の中心の小さなホテルを予約した。駅からタクシーで向かうと、到着した広場で狩猟用ホルンの音色が高々と鳴り響いていた。広場に面したカフェの二階で、特別ミサのある聖ピエール教会まで徒歩5分。カフェ・レストランの客の喧噪が懸念されたが、抜群のロケーション。

聖フーベルトの特別ミサが行われる聖ピエール教区教会は、リエージュの旧市街にある。昔七つあった教区教会の一つで、聖フーベルトが建立した由緒ある教会。




ベルギーは王様がいる王国なので、狩猟クラブも正式には王立狩猟クラブ。森が多いベルギー、ドイツ、フランスでは狩猟はスポーツとして扱われ、秋になると多くのハンターたちが森で鹿狩り、イノシシ狩り、うさぎ狩りをスポーツとして楽しんでいる。聖フーベルトは、今日もハンターや猟犬の守護聖人として篤く崇敬されている。

聖フーベルトは、アルデンヌの森で十字架を角にのせた鹿の幻影を見て回心した後、オランダ南部にいたマーストリヒトの聖ランベルトゥス(Lambertus van Maastricht)を尋ね、教義を学び、聖ランベルトゥス亡き後はマーストリヒトの司教に就任した。


20世紀初頭までヨーロッパでは「聖フーベルトの鍵(Hubertusschlüssel)」と呼ばれる医療器具があった。聖フーベルトが犬を使った狩猟者たちの守護聖人であったことから、金属で作られた円錐形の鍵を模した器具を聖フーベルトの鍵と命名した。狂犬病にかかっている人の犬に噛まれた傷口に熱した聖フーベルトの鍵を押し当て、熱によって噛まれた傷口が殺菌されるという少々乱暴な治療法であった。
聖人録
聖フーベルト
Saint Hubertus

聖フーベルトは南フランスのアキテーヌ公ベルトランの長子として655年頃トゥールーズで生まれた。当時フランスを版図としていたフランク王国はフランス北部に宮廷があり、フーベルトはメッス(Metz)の宮廷で管理職として働いていたらしい。フランク王国の統治者ピピンの親戚の娘と結婚したが、妻が若くして亡くなった後、メッツの北部、現在のベルギーのアルデンヌ地方の森で隠者となり、求道生活を送っていた。その時、十字架を角にのせた鹿に遭遇し、森を離れ、現在のオランダ南部のマーストリヒトの聖ランベルトゥスを尋ねた。

フーベルトはマーストリヒトの司教になった後、司教座を現在のリエージュに移したため、リエージュの創設者ともされている。フーベルトは727年5月30日にベルギー中央部のテルヴレン(Tervuren)で帰天したといわれる。フーベルトは、まだ月の女神ディアンヌ(Dianne)などの異教の神を信奉していたベルギー東部アルデンヌ地方、オランダ南部をキリスト教化したことから「アルデンヌの使徒」とも言われる。聖フーベルトへの崇拝は帰天後1世紀経った頃から始まり、リエージュや聖人ゆかりのアルデンヌ地方の修道院は中世の巡礼地の一つになっていた。聖フーベルトは数々の奇跡を起こしたことから、ローマの聖クィリヌス、エジプトの聖(大)アントニウス、聖コルネリウスと共にに四人の強力な執り成し者としてライン河畔地域で絶大なる人気があった。
聖フーベルトは、狩猟者、犬、森林管理人、精錬所、肉屋などの守護聖人。