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上智の座
Sedes sapientiae
幼子イエスを膝の上に乗せた聖母
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中央山塊(Massif Central)と呼ばれるフランス中央部で、多くの個性的な聖母子像を目にする。
クレルモン・フェランから南西へ約20キロメートルに位置するオルシヴァル(Orcival)のノートルダム・ドルシヴァル教会に「上智の座(Sedes sapientiae)」の聖母子像が顕示されている。"上智"とは、主イエスの智慧を意味する。聖母マリアの膝に、神としてのイエスの智慧が座し、聖母は両手でしっかりとイエスを支えている。
11〜12世紀頃、フランス中部で好まれた聖母子像で約100体近くが現存しているといわれる。
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オルシヴァルの聖母子像は、現在の教会が建立される以前に東に位置していた教会のために11世紀半ばに製作された。
オルシヴァルの聖母子像は、鎖に繋がれていた戦争捕虜、冤罪に問われた囚人などの解放を執り成したということで「鉄の聖母(Notre Dame des fers)」とも呼ばれている。
聖母マリアが幼きイエスを初めて膝の上にのせたは、いつのことだろうか? イエスの誕生後、東方の三博士が礼拝に来た時ではないだろうか?
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3世紀頃の初期キリスト教時代のカタコンベ(地下墳墓)の壁に聖母子座像が単独で描かれている。その頃からすでに聖母子像の崇拝が始まっていたのだろう。その時代、カタコンベの壁面のみならず石棺にも東方の三博士の来訪と聖母子座像が彫られている。
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ラヴェンナの新聖アポリネール聖堂の壁面には、6世紀末頃、東方の三博士の来訪がビザンチン芸術の影響を受けたモザイク画で描かれている。
3人の博士たちは、東方、小アジアに由来するフリジア帽を被り、貢物を持って右前方の玉座に座る聖母子に向かっている。
聖母子は左右各2人の天使たちに囲まれて、右手を挙げて祝福しながら正面向いて玉座に座っている。
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ローマのラテラノの聖ヨハネ大聖堂の主要祭壇の後方にも、素朴な「上智の座」の聖母子が顕示されている。幼きイエスも聖母マリアも右手を挙げて参列者に祝福を与えている。14世紀、イタリア中部ウンブリア地方で製作された木彫の聖母子像。
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静穏な面差しの中にも叡智を含んだ聖母は、上智の座に相応しい。