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皇帝 聖ハインリヒのうさぎ

ドイツ南東部の宗教都市バンベルク(Bamberg)では、毎年7月13日、皇帝 聖ハインリヒの記念日の特別ミサの後に、信者交遊のランチ・パーティが開かれる。
会場では、この日の特別スイーツ、「ハインリヒのウサギ(heinrichs hase)」が女子修道会のスタンドで売られる。

皇帝 聖ハインリヒの記念日の特別ミサは、聖人の帰天日である7月13日に近い日曜日の朝10時からバンベルク大聖堂横の大聖堂広場で野外の特設祭壇で開催される。

ドイツ南部の祭事らしく、信仰団体、組織の御旗を先頭に司教団が入場する。昔日の学生団体も参加し、いかにも古式豊かな祭事を好む南ドイツのカトリック社会らしい。

御旗の行列に続き、司教団、そして大司教が入場した。

聖ハインリヒの記念日の特別ミサは、ルドウィク・シック(Ludwig Schick)バンベルク大司教(Erzbischof)の司式で行われた。

2024年の聖ハインリヒの記念日は、晴天にも恵まれ、約1000人の信者が特別ミサに参加した。

バンベルク周辺には修道院が多いので、修道士、修道女の参加も多々見られた。

コーラス団は、大聖堂横の入り口を舞台に記念日の特別ミサを盛り立てた。特別ミサの聖歌は、軽音楽的なメロディで斬新だった。

特別ミサの後、参加者たちに祝福を与えるシック大司教。

特別ミサの会場周辺には、大聖堂の案内所、巡礼団などのスタンドが立ち、便宜を計っていた。

特設郵便局のスタンドも立ち、ここで切手を購入し、投函することも可能。

修道院が多い南ドイツらしく、修道院紹介のスタンドも。

特別ミサの後、11時半過ぎから信者交流のランチ・パーティが開かれる。宗教団体、コルピング基金、修道院などが軽食、ケーキなどのスタンドを設営していた。
女子修道院のスイーツ・スタンドは人気の的。このスタンドで、聖人ハインリヒに因んだ「ハインリヒのウサギ」というスイーツを見つけた。

バンベルクには「刻まれたウサギ(Geschnittene Hasen)」と呼ばれる同様の揚げ菓子があり、それを聖ハインリヒの記念日に女子修道会が作り、「ハインリヒのウサギ」と名前を変えて売っているとか? バンベルクには「ハインリヒの王冠(Heinrichs Krone)」と呼ばれるパンもある。

ランチ・パーティでは、バンベルクのドン・ボスコ会のブラス・バンドがバック・ミュージックを担当していた。南ドイツ、バイエルン地方の民族衣装を着たブラス・バンドは、イタリアのドン・ボスコの団体?と、ふと疑念がよぎってしまった。


聖人録

聖ハインリヒ

Heinrich II

973年もしくは978年にドイツ南部のアバッハ(Abbach)またはヒルデスハイム(Hildesheim)で高貴な貴族の息子として生まれた。1002年から1024年までハインリヒ四世としてドイツ南部のバイエルン公に、同時に1002年に東フランケン王に即位し、1004年から1024年までイタリア王、1014年から神聖ローマ皇帝に選出された。
1007年、ハインリヒ二世はバンベルク教区を設立し、教会に「奉仕(servitium regis)」を求めた。修道院改革を推進し、教会と密接な関係を築き、政治的に神聖ローマ帝国を強化した。1146年、教皇エウゲニウス三世により列聖された。
ハインリヒは、イギリスでは"ヘンリー(Henry)"、フランスでは"アンリ(Henri)"と呼ばれる。


聖女クニグンデ

Kunigunde von Luxemburg

975年頃、ルクセンブルクの城と町を築いたルクセンブルク伯の娘としてルクセンブルク、もしくはドイツのギーセン郊外で生まれる。
995年頃、バイエルン公ハインリヒ四世(後のハインリヒ二世、聖ハインリヒ)と結婚。
しかし子どもに恵まれず、「ヨセフの結婚」という伝説を作った。
夫、ハインリヒ二世への敵対行為などを勇敢に行動で支え、婚姻時に夫から譲り受けたバンベルグの所領をバンベルク教区に寄付した。
ハインリヒ二世の帰天後は1025年から自ら設立したベネディクト修道院に入り、1033年、その修道院で帰天した。
1200年4月3日、教皇インノケンティウス3世より列聖された。

旧宮廷門の中央に聖母子像、その左右で聖ハインリヒ聖クニグンデバンベルク大聖堂を支えるレリーフがある。

大聖堂の身廊後方に顕示されている聖ハインリヒ聖クニグンデの石棺。
1499年から1513年にかけて、南ドイツの彫刻の巨匠ティルマン・リーメンシュナイダー(Tilman Riemenschneider)の工房が制作したルネサンス様式の彫刻作品。



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