冤罪の囚人、戦争捕虜を救った聖人
六世紀に南フランスで修道活動を始めたノブラの聖レオナール(Léonard de Noblat ドイツ語:Leonhardレオンハルト)は多くの冤罪の囚人、戦争捕虜など救った。聖レオナールは中世に捕虜の鎖を持って描かれていたため、鎖繋がり?で農耕馬、家畜などを想起させたことから農民、馬、家畜の守護聖人にもなった。
聖レオナールの記念日(11月6日)にドイツ南部の農村地帯で「聖レオンハルトの騎行」と呼ばれる祝祭事が繰り広げられる。
南ドイツの中心都市ミュンへンから南へ約40キロメートルの地に、バート・テルツ(Bad Toelz)という温泉町がある。ドイツ南部の農村地帯の中心に位置するバート・テルツはイザール川を挟んで温泉街と旧市街に分かれている。民族衣装に身を包み馬車に乗った近隣の農民たち一行は朝早く温泉街に終結し、旧市街の丘の上の聖レオンハルト礼拝堂を目指す。
温泉街の中心地に集まった馬車は、司祭、町の重鎮、そして近隣の農家の娘たちを載せて旧市街へ。旧市街をパレードした後、カルヴァリオ(ゴルゴダ)の丘の頂きを目指す。丘の上にイエスが磔された十字架の一部が聖遺物として顕示されている聖十字架教会があることから命名されている。
教会と礼拝堂の間に大きな広場があり、ここで聖レオンハルトの記念日の特別ミサがある。
旧市街から聖十字架教会と聖レオンハルト礼拝堂への坂道には、「十字架の道行」、イエスの捕縛から十字架磔刑、十字架降下、埋葬などの聖像が顕示された14留の祠が立っている。坂道を登りながら各留で留まり、祈りを捧げる。
聖レオンハルトの記念日に近隣から約80台の馬車に乗ってバイエルン地方南部の農村の娘たち、老若男女が参加する。この日はバイエルン南部の農村の大祭事で、美しい民族衣装を着て、娘たちは高価なキツネの襟巻を持参して特別ミサに参加する。
聖人録
聖レオンハルト
Leonhard
レオンハルトは6世紀初頭メロビング朝のフランク王国の貴族の息子として生まれたといわれるが、史実に基づく資料はない。ランスの大司教レミギウスにより洗礼を受け、教育を受けた。慈愛に満ちたレオンハルトは、牢獄を尋ね囚人たちを励まし、フランク王国の王たちに囚人の釈放を訴えた。後に南フランスに移住し、リーモジュ(Limouges)近くのポーヴァン(Pauvain)で隠棲生活を送っていた。
レオンハルトが世継ぎの無いフランク王国の王妃に男子が授かるように祈願したところ、王妃はめでたく世継ぎを生んだ。王夫妻がレオンハルトに感謝の意味をこめて富を与えようとしたところ、レオンハルトは富を辞退し、一晩でロバに乗って移動できる範囲の森を願ったという。レオンハルトは、与えられたノブラの土地に修道院を築いた。修道院の近くには門前町ができ、サン・レオナール・ド・ノブラ(Saint Léonard-de-Noblat)と呼ばれるようになった。
レオナールはフランス語、イタリア語はレオナルド。あのイタリア・ルネサンスの天才の名前もレオンハルトに因む。
聖レオンハルトは囚人、戦争捕虜、農業従事者の守護聖人であると共に子宝に恵まれない女性の守護聖人でもある。17世紀のフランス国王ルイ13世夫妻は結婚後20年間世継ぎに恵まれなったが、聖レオナールへ執り成しを依頼したところ懐妊した。生まれた子が後の太陽王ルイ14世となった。