銘ワイナリーになった修道院
中世からドイツの重要な交通路でもあったライン河中流のエルトヴィレEltville am Rheinからブドウで被われた小高い丘を10KMほど上がるとドイツの銘醸ワインで知られる旧エバーバッハEberbach修道院がある。
エバーバッハ修道院は、1136年に当時フランスの聖ベルナールが修道院改革を推進していたシトー派の修道院から派遣された12人の修道士が設立した。修道院は無原罪聖母マリアと洗礼者聖ヨハネによって守護された。
エバーバッハ修道院は急速に拡大し、12世紀初頭から13世紀末までの約200年間にドイツ中部に約30の分院が築かれた。
修道院は広大な不動産を持ち、そこから収入で運営されていたが、人口が増え借地単価が少なくなり15世紀頃から衰退が始まった。16世紀初頭の農民戦争で農民たちは修道院の解散を要求したが、シュヴァーベン同盟の軍隊に敗れ、修道院はかろうじて救われた。
16世紀の宗教改革時に、多くの修道士たちは修道院に残った。1553年には、26人の司祭と14人の修道士が修道院に住んでいた。しかし、宗教改革で引き起こされた戦争のために、修道院は経済的に大きな負担を受けた。その後、度々地方領主の侵略を受け、占領された。18世紀末、ナポレオンの侵略戦争により修道院もフランス軍に占領され、地方の統治者の所有となったものの1803年に修道院は解散した。世俗化されてからは、救貧院、施療院、刑務所、一時期は軍隊も駐屯した。近年では難民の受け入れキャンプともなったことがある。
第二次世界大戦後、ドイツ中央部のヘッセン州の所有に
大聖堂と修道士の寝床を結ぶ階段に面して思考の間Andachtraumと呼ばれる小さな礼拝堂がある。司祭たちは夜間にこの部屋で黙想、瞑想に耽ったといわれる。
現在、修道士たちの寝床、大ホールに続く建物、図書館などは、ドイツの知育玩具メーカー、プレイモビール社の協賛でプレイモビールを使った子供たちの遊び場が造られている。
修道院が設立された12世紀からエバーバッハ修道院でぶどうが栽培された。一説によるとワインの産地のフランス・ブルゴーニュ地方が本拠地にbなっているシトー派の修道士たちが齎したとも言われる。この地方では、気候と土壌の関係から白ワイン用にぶどうが栽培された。13世紀、14世紀に施療院として使用されていたホールは、ワインの醸造所に。低温のホール内は、ワインの醸造、保存に最適だった。
醸造されたワインは、近くのライン河の河港ラインハルツハウゼンReinharthauzenからドイツのワインの集約地、ケルンに船で運ばれ、修道院に多額の営利を齎した。
1998年1月1日よりヘッセン州は修道院の全不動産をエバーバッハ修道院財団に譲渡したことにより、ヘッセン州立エバーバッハ修道院Hessicher Staatsweingueteer GmbH Kloster Eberbachとなり、現在ドイツ最大のワイナリーとなっている。
エバーバッハ修道院財団に運営されるようになってから、修道院敷地内の農家の納屋、家畜小屋を大改造してホテルが造られた。森に囲まれた建物なので静か、清潔で、安全、宿泊施設に重要な3S(静かSilence、清潔Sanitay、安全Saftey)が全て整っている。美味しいワインを飲めるレストランも併設されている。お値段は季節によって変動するが一部屋150ー250Euro(2万円-3万5千円)
Hotel Kloster Eberbach
Kloster Eberbach
65346 Eltville am Rhien
06723 9178240
kloster-eberbach.de