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聖ヘレナ

Helena


ミケランジェロが建築デザインしたヴァチカンの聖ペテロ大聖堂のクーポラ(cupola di San Pietro 大円天蓋)は直径42メートル高さ131メートルの天蓋を4本の大きな柱で支えている。
その柱の台座の一つに大きな十字架を持った女性の像が立っている。
キリスト教を公認したコンスタンティヌス大帝の母后で、聖十字架を発見した聖女ヘレナの像だ。

フラビア・ジュリア・ヘレナ(Flavia Iulia Helena)は紀元後250年頃、現在のトルコ・イスタンブールの対岸、ビザンツ地方で生まれたとされている。
270年頃、ローマの将軍であったF.V.コンスタンティウス(後のコンスタンティウス1世 在位293年〜305年)とヴァルカン半島のナイッスス(Naissus 現在のセルビア・ニシュ)の居酒屋で出逢い、275年頃にコンスタティヌス(後の大帝)を生んだとされる。

ヘレナは、息子が306年に皇帝となり、トリア、ローマ、コンスタンティノープルと宮廷を移転する毎に息子と行動を共にした。325年に「皇后(Augusta)」の称号が与えられ、帝国内を自由に旅が出来るようになった。326年〜328年頃、齢80近くになってから聖地(エルサレム)巡礼に旅立った。
一説によると、息子である大帝が妻と息子を残虐に殺害した事への罪滅ぼしに、イエスが磔にされた"聖十字架"を探すために聖地を訪れたといわれる。また、ヘレナの夢の中に天使が現れ、聖十字架が埋葬された場所を告げたという言い伝えもある。

十字架が立てられ、聖墳墓が造られたとされるゴルゴタの丘には、2世紀半ばにハドリアヌス帝によりヴィーナスの神殿が建てられていた。
ヘレナが神殿を破壊を命じ、発掘したところ、聖十字架などが発見されたという。発掘された3つの十字架に今にも死にそうな女性を連れてきて触らせたところ、3番目の十字架に触ると蘇生したので、その十字架がイエスの聖十字架だと確認できたという。

アレッオの聖フランチェスコ教会の壁画

発掘した聖十字架は3つに分割され、1つはエルサレムに、1つはコンスタンティノープルに、3つ目はローマに移された。
ローマではヘレナが住まいとしていたセッソリウム宮殿の上に聖十字架を顕示する「エルサレムの聖十字架教会」が建てられた。
ヘレナは聖十字架の他にもイエスの受難に関わる"聖なる釘"、"聖なる縄"、イエスの誕生の際に寝かせていた"飼い葉桶"も発見した。ヘレナが発掘した聖遺物は今日でもヨーロッパ各地の教会で顕示されている。

ローマのエルサレムの聖十字架教会

ローマの中心地、カピトリーノの丘にある「聖マリア・イン・アラコエリ(Santa Maria in Aracoeli)教会」に聖ヘレナの小礼拝堂がある。17世紀に築かれた小礼拝堂は、1798年にナポレオン軍がローマ侵略時に破壊され、1833年に再建された。この地にはローマ帝国時代、救い主がご出現するという啓示を皇帝アウグストゥスが受けた天の祭壇(Aracoeli)があった。

ローマ アラコエリの聖マリア教会

ローマの「エルサレムの聖十字架教会」に顕示されていた聖十字架は、1629 年に教皇ウルバン八世の命により聖ペトロ大聖堂に移送され、クーポラを支える大きな柱に小礼拝堂が築かれ、顕示された。その下に聖ヘレナと聖十字架の像が立っている。

306年からローマ帝国北西部の帝都となったトリアにヘレナが約3年間住んだことから、聖ヘレナの記念日(8月18日、帰天日)にトリア大聖堂で特別ミサがある。14世紀後半の神聖ローマ皇帝カール四世がトリア大司教に聖ヘレナの聖遺物(頭蓋骨)を贈って以来、トリアの大聖堂に顕示されている。

トリアの聖ヘレナの聖遺物と記念日のミサ

カトリック教会では、聖ヘレナの記念日を聖女の帰天日(8月18日)に祝うが、東方正教ではコンスタンティアヌス大帝の帰天日(5月22日)の前日を聖ヘレナの記念日に設定し、息子と共に「使徒に等しい聖なるコンスタンティヌス大帝とヘレナの祝日」としてキリスト教信仰の偉大な貢献者の記念日を二日続きで祝う。
聖ヘレナが聖十字架を発見した9月14日は、カトリックで十字架称賛の祝日となっている。
1502年5月21日、ポルトガル人の航海者がアフリカ南西部沖で島を発見し、その日が聖ヘレナの記念日であったことからセント・ヘレナ島と命名された。ナポレオンが失脚後に英国領であったこの島に遠流されたことから世界的に知名度の高い島となった。

ニュルンベルグの聖セバルドゥス教会所蔵

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